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2021年7月7日(水)
マタイの福音書 6:11 11私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
【ポイント】 ①「日ごとの糧」で満足していますか? イエス様は、私たちが生活の糧のために祈ることをお許しになりました。そして、それを主の祈りとして多くのクリスチャンが祈っています。
ここで、質問です。あなたは「日ごとの糧」が与えられていますか?答えが「はい」だとしたら、それでもあなたは「日ごとの糧をきょうもお与えください」と神様にお願いするのでしょうか。むしろ、私たちの祈りは「日ごとの糧を与えてくださって感謝します」と変えられるのではないでしょうか。それなのに、「日ごとの糧をきょうもお与えください」と祈り続ける理由は何でしょうか。三食きちんと食べられている人が、神様と顔と顔を合わせて対話をするときに、「神様、日ごとの糧をください」とお願いするでしょうか。やはり「日ごとの糧を感謝いたします!」とか「あなたは私たちの肉体を養ってくださるかたです!」と感謝や賛美のことばを口にするのではないでしょうか。
さらに、この祈りから分かるポイントは、私たちは日ごとの糧で満足することができる(するべき)ということです。多くの人の本心は「もっとたくさん食べたい」「もっとおいしいものが食べたい」というものでしょう。私たちの欲求は尽きることがありません。飢餓状態の時には、小さな塩おにぎり一つ与えられただけで、心からの喜びと満足を覚えることでしょう。塩おにぎりを食べ続けると、私たちは喜びを忘れ、美味しい具材を入れて欲しくなったり、温かい味噌汁が欲しくなったりして、塩おにぎりでは満足できなくなってしまうのです(旧約聖書のマナと同じですね)。
ですから、イエス様が私たちに「日ごとの糧」のために祈るように教えられるときに、イエス様が私たちを「日ごとの糧」に満足し、感謝する生き方に導かれようとしていることが分かるのです。物質主義に支配されている社会に生きるクリスチャン(私たち)は、「日ごとの糧で満足します!」という告白として、この祈りをささげることができるのです。
このようなことを考えもせず、主の祈りを口にしていることはないでしょうか。しっかりと振り返ってみましょう。
ライフチャーチ 大谷 信道