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2020年8月1日(土)
へブル人への手紙6:13-15 17そこで、神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。18それは、変えることのできない二つの事がらによって、――神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません――前に置かれている望みを捕らえるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。19この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側に入るのです。20イエスは私たちの先駆けとしてそこに入り、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。
【ポイント】 ①神様の計画に参加しよう! この世のほとんどの人は、自分の人生設計、自分の夢、自分の仕事、自分の勉強などで頭がいっぱいです。「人生」の定義とは、「自分の計画の実現ために生きること」だと考え、それに疑いを感じる人は少ないのです。残念ながら、クリスチャンの中にも、この価値観から離れられないまま信仰生活を続けている人が少なくないのです。
しかし、例えば、昨日学んだアブラハムはそうではありませんでした。アブラハムの人生を一言で表すとしたら「神様の計画に従う人生」と言うことができるのではないでしょうか。神様の祝福の約束の実現を自分の目で見ることはありませんでしたが、75歳で神様に召し出されてから100年間、忍耐強く神様の計画に従ったのです。
そして、私たちはその生き様から「信仰」「祝福」とは何であるのかを知ることができるのです。創世記25章8節にはこうあります「8アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。」よく考えてみましょう。アブラハムが「平安な老年」「長寿」が与えられたのは、それを祈り、その実現を信じていたからでしょうか。決してそうではありません。彼の人生の祝福は、アブラハムが神様の計画の実現に参加し、忍耐強くその実現を最後まで信じ続けた結果なのです。
別の言い方をすれば、あなたが神様の計画の実現を信じるだけでなく、その計画に参加していなければ、アブラハムと同じ祝福を味わうことができないということなのです。自分の計画の実現のために人生を使ってしまった人が、神様からの労いをいただくことができるでしょうか。繰り返し確認していますが、マタイ16章のイエス様の招き見てみましょう。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」そして、その招きを受けたペテロは19章27節でこのように言っています。「27ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」この時点では、ペテロの心には不純な動機が含まれていたことが分かりますが、ペテロがすべてを捨ててイエス様の計画に従っていることが分かるのです。
自分の信仰の歩みを振り返って、自分が神様の計画の実現のために何をしてきたのか、イエス様とお会いする時にどのような労いのことばをかけていただけるのかを想像してみましょう。もし、具体的なことがらが思いつかないとしたら、あなたは神様の計画の実現のためではなく、自分の計画の実現のために生きている可能性が非常に高いのです。
ライフチャーチ 大谷信道