デイリーディボーション 8月1日(水)

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デイリーディボーション 8月1日(水)

2018年8月1日(水)

コリント人への手紙 第一 9:13-18
13あなたがたは、宮に奉仕している者が宮の物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇の物にあずかることを知らないのですか。14同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。15しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。16というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ。17もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。18では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。

【ポイント】
①パウロの選択は例外的 ーその2ー
今日の箇所でもパウロは「14主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。」と、使徒や伝道者がその働きから報酬を得ることは、イエス様ご自身の教えでもあると説明しています。

しかし、パウロは15節で「私はこれらの権利を一つも用いませんでした。」と語っています。その理由は18節にあります。「では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。」パウロにとっての「報酬」とは、自分の伝道の働きからお金を得ることではなく、自分の権利を十分に用いないこと(お金を得ないこと)だったのです。

あとの15章9節でパウロは自分の使徒としてのあり方について次のように表現しています。「9私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。」イエス様の昇天後にイエス様を信じるようになったパウロの使徒職について疑問視する人が多くいたようです。ですから、パウロは使徒としての信頼を得るために、あえて大変な道を選んだのでしょう(ほとんど「意地」のようなものまで感じられますね。)。

ライフチャーチ
大谷信道


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