デイリーディボーション 8月1日(火)

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デイリーディボーション 8月1日(火)

2017年8月1日(火)

【通読】
マタイの福音書 13:34-35
34イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話され、たとえを使わずには何もお話しにならなかった。35それは、預言者を通して言われた事が成就するためであった。「わたしはたとえ話をもって口を開き、世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」

【ポイント】
①イエス様のことばを真剣に聞く
イエス様ご自身が13章13節で既に「たとえ」で話す理由が説明されていましたね。「13わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。」

私たちも、自分の聞きたいことは注意深く聞き、そうでないことは聞き流してしまうという性質を持っていることを認めることが大事です。自分自身についてもそうなのですが、これまでの牧会経験を通しても、私たちの「話しを真剣に聞こうとしない」「聞いていても理解しようとしない」「理解したことを実践しない」という性質がいかに大きな問題であるのかということを痛感しています。皆さんは、「イエス様みことばを真剣に聞く」という点について、自分を評価するとしたら合格点をあげられるでしょうか。

②問題の本質はイエス様に対する忠実さの有無
私たちは学校で授業を受けているわけではありません。もちろん、学校の先生の話しを真剣に聞くことは大切なことです。しかし、私たちは聖書を開くとき、学校の先生の話を聞いているのでも、教科書を開いているのでもありません。私たちを愛し、私たちの罪のために十字架で苦しみ、死んでくださった方、そして、何よりも自分が人生をささげ、愛すると決めた方の話しを聞こうとしているのです。よく、テレビドラマなので、仕事から帰宅した夫が、妻の話しをビール片手にテレビを見ながら聞いているような場面を見ますね。そして「ねー、ちゃんと聞いてるの?」という妻の問いかけに、夫は「うるさいな、ちゃんと聞いてるよ!」などと逆ギレしたりするのです。誰でもが、このような場面から夫の妻に対する不誠実さ、愛の浅さを感じるのです。しかし、私たちも自分の「聞き方」にイエス様に対する誠実さ、愛が現れているのか、そうでないのかを振り返る必要があるのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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