デイリーディボーション 8月11日(水)

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デイリーディボーション 8月11日(水)

2021年8月11日(水)
マタイの福音書 8:1-4 1イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。2すると、ツァラアトに冒された人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」3イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。4イエスは彼に言われた。「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。ただ、人々へのあかしのために、行って、自分を祭司に見せなさい。そして、モーセの命じた供え物をささげなさい。」
【ポイント】 ①常にパリサイ人・律法学者の視点からイエス様を見る 「ツァラアト」は何らかの感染症であることは確かですが、現代の医学に照らし合わせて一つの病気として特定することは難しいようです。一つ確かなことは、当時のユダヤ人は「ツァラアト」に冒されたと思われる人を肉体的にも霊的にも「汚れた者」として隔離していたということです。
レビ記13章44-46節 44彼はツァラアトの者であって汚れている。祭司は彼を確かに汚れていると宣言する。その患部が頭にあるからである。45患部のあるそのツァラアトの者は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない。46その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない。
民数記5章2-3節 2「イスラエル人に命じて、ツァラアトの者、漏出を病む者、死体によって身を汚している者をすべて宿営から追い出せ。3男でも女でも追い出し、彼らを宿営の外に追い出して、わたしがその中に住む宿営を汚さないようにしなければならない。」
つまり、「ツァラアト」に冒されている人は「汚れた者」「罪人」として扱われ、神様との交わりも、人々との交わりも絶たれていたということです。イエス様の癒しは、単なる病の癒しではなく、神様と隣人との交わりの回復なのです。最近で言えば、新型コロナの蔓延初期には、感染してしまった人や特定の国の出身者が様々な差別を受けるという悲しい出来事がありましたし、歴史を見れば「ハンセン病」に代表されるような、医学的な知識の欠如(無知)から来る差別が繰り返されています。
さらに、驚くべきことは、イエス様は、祭司、パリサイ人、律法学者など、当時の宗教的指導者が接触を避けた「ツァラアト」に冒された人を、自分い近づいてくることを許され、手を触れられたということです。これは、どれほど「自分は汚れている」と思い込んでいる人でも、イエス様は決して拒絶されることがないという証拠でもあるのです。これが、神様の真の姿であり、神様の御心であるということなのです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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