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2023年8月15日(火)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 15章25-27節 25ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。26それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。27彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。
①パウロが感じていた当時のキリスト教界の危機 パウロは、異邦人のメンバーが多数在籍しているアジア各地の教会に、ユダヤ人のメンバーを多数を占めているエルサレムの教会への援助を呼びかけていました。今日の個所には「エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たち」とありますから、エルサレムの教会、そこに集まるユダヤ人メンバーの全員が経済的に困窮していたわけではないことが分かります。ということは、過去のユダヤ教の習慣、ペンテコステ直後教会の様子などを見れば、ユダヤ人クリスチャンたちが、自分の教会の中で困っている人たちを援助していたことが推察できます。つまり、外からの援助が無くても、エルサレム教会は助け合いを実践できていた可能性があるわけです。
それでは、なぜパウロは敢えて、エルサレムの教会の援助を行おうとしていたのでしょうか。それは、これまでの文脈からをみると容易に想像できます。パウロは、ローマの教会だけでなく、キリスト教界全体の中での異邦人とユダヤ人の和解、融和、相互愛の実現をキリストから与えられた使命としていたのです。残念なことですが、ガラテヤ人への手紙などを読むと、使徒パウロとエルサレム教会の主要メンバー、異邦人教会とエルサレム教会の関係は、ちょっとギクシャクしたものであったことが分かります。パウロからの視点で見ると、エルサレム教会の中には、イエス・キリストの福音(異邦人の信仰による救い)を十分に理解していない人々がいるように見えたのでしょう。または、イエス様の「 全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」という命令に対する不従順さを感じていたかもしれません。」パウロはこのような状況が決して神様の御心であるとは思わなかったのでしょう。ですから、パウロは、各地の異邦人教会がエルサレム教会を支援し、愛を示すことが極めて重要だと考えていたのでしょう。
残念ながら、パウロが神様から与えられていた異邦人とユダヤ人の和解、さらにすべてイエス・キリストを信じる者たちの和解のというビジョンは、その後の教会に継承されたわけではありませんでした。しかし、その神様のビジョンが変わってしまったわけではありません。いつも、ライフチャーチでお話していますが、私たちクリスチャンは、夫婦の和解、親子の和解、兄弟の和解など、小さなところから主にある和解と相互愛を実践していくことが求められていることを忘れてはなりません。小さな和解をいい加減にする人は、大きな和解はできません。世界平和を口で叫ぶことは簡単です。しかし、そのためには一番近くにいる隣人愛から始めなければならないのです。そして、隣人愛をいい加減にする先に、紛争や戦争が直結しているという危機感を持つことが重要なのです。
ライフチャーチ 大谷信道