デイリーディボーション 8月16日(水)

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デイリーディボーション 8月16日(水)

2017年8月16日(水)

【通読】
マタイの福音書 14:34-36
34彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。35すると、その地の人々は、イエスと気がついて、付近の地域にくまなく知らせ、病人という病人をみな、みもとに連れて来た。36そして、せめて彼らに、着物のふさにでもさわらせてやってくださいと、イエスにお願いした。そして、さわった人々はみな、いやされた。

【ポイント】
①信仰とはイエス様への個人的な信頼関係
イエス様が病のいやしについて与えられている一つの教えは、「イエス様への信仰によっていやされる」というものです。マタイ9章22節の長血の女性のいやしの箇所を見てみましょう。「イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。『娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。』すると、女はその時から全く直った。」とあります。イエス様は使徒たちに病を癒やす権能を授けられ(マタイ10:1)、使徒パウロも、ある人は聖霊によっていやしの賜物が与えられると教えています。このような箇所から、「いやしを行なう者」の方に注目が集まりがちなのですが、実は、イエス様はいやされる者のイエス様に対する「信仰」も、いやしの出来事に深く関係していること教えられているのです。

今日の出来事は、昨日のイエス様から目を離して溺れかけてしまった弟子たちとは対照的です。36節の「せめて彼らに、着物のふさにでもさわらせてやってください」という記述から、いやしを必要としている病人だけでなく、その家族や友人と思われる人々が、イエス様に直接触れてもらえなくても、着物の端にさわるだけでもいやしていただけるであろうと信じ続けていたことが分かります。

私たちは今日も、この単純な「信仰」を持ち続けて行くのです。つまり、どのような状況になってもイエス様に身を委ね、イエス様を信頼し続けることです。不安な事柄を抱えているときは、本当に神様が自分の状況を理解し、導いてくださっているのか疑いを抱いてしまうことがありますし、日々の生活がすべて順調に行っていると感じているときには、自分の力で道を切り開いていくことができるのではないかと傲慢になり、イエス様に信頼したり、感謝することを忘れることがあります。結局、良いことも悪いこともイエス様を信頼する事をやめてしまうきっかけになるのです。

ですから、日々イエス様を信頼することを意識的に行って行くことが大切なのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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