デイリーディボーション 8月17日(月)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 8月17日(月)

2020年8月17日(月)
へブル人への手紙 9:11-12 15こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。16遺言には、遺言者の死亡証明が必要です。17遺言は、人が死んだとき初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は、決して効力はありません。18したがって、初めの契約も血なしに成立したのではありません。19モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に語って後、水と赤い色の羊の毛とヒソプとのほかに、子牛とやぎの血を取って、契約の書自体にも民の全体にも注ぎかけ、20「これは神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言いました。21また彼は、幕屋と礼拝のすべての器具にも同様に血を注ぎかけました。22それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです
【ポイント】 ①「血」=命の犠牲 ここでの「血」とは「命」を意味しています。現代のような医学の知識がない時代でも、人類は古くから動物や人間は大量の出血で命を落とすことを知っていました。つまり、22節の「また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです」という箇所は、神様は動物の命を犠牲にしなければ罪の赦し(贖い)は成立しないというルールを定められたことを意味しているわけです。
一方、現代でも人間が生きるためにどれほど多くの血が流されているか想像したことがあるでしょうか。ファストフード店でハンバーガーを食べても、チキンナゲットを食べても、その背景には牛やニワトリが屠られ、血が流されているという事実があるのです。自分の生涯で、自分の命を維持するためにどれほどの動物の血が流されるのか考えてみましょう。自分が生きるものとされるために、くの動物の命が犠牲になっていることと、私たちの魂が生かされるために血が流されるという、神様が決められたルールに共通点があることに気が付くのではないでしょうか。
自分の肉体を維持するために動物の血が流されるのを見る時に、聖書でイスラエルの民が自分たちの罪の贖いのために大切な家畜を犠牲にしていた姿を見る時に、私たちクリスチャンは、イエス様が血を流されたこと(ご自分のいのちを犠牲にされたこと)の尊さを理解することができるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


side_worship side_info