デイリーディボーション 8月17日(火)

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デイリーディボーション 8月17日(火)

2021年8月17日(火)
マタイの福音書 8:14-15 14それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。15イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。
【ポイント】 ①イエス様の癒しの目的を考える イエス様の癒しの究極の目的は、イエス様が神(メシア)であることの証明です。病は罪の結果として見られていた部分もありますので、病の癒しや肉体の癒しだけでなく、罪の赦し(清め)でもありました。罪を赦す権威を持っているのは神様だけなので、偶発的にではなく、意図的に病気をいやすことができるのは、神様か、神様から遣わされた特別な者だけだと感がることができたわけです。言うまでもなく、それはイザヤ書35章5-6節などで預言されていたことです。
現代的な感覚から今日の個所を見ると、イエス様が自分たち(男性たち)をもてなさせるという自己中心的な目的のために、ペテロのしゅうとめ(女性)をいやされたと考える人もいることでしょう。現在ではすっかり変わってきたと思いますが、かつては教会でも、食事の準備・後片付けを女性だけで行うことに何の疑問を持たない牧師、男性信徒、そして女性信徒がたくさんいたのではないかと思います。そのような意味で、聖書の中にも男女差別があると指摘される人がいるようです。
しかし、一般的に男性の料理のスキルが低かったので、手伝いたくても厨房に入れてもらえなかったというケースもあったことでしょう。また、食事の準備・後片付けなどが自分の得意分野であるので、それを賜物として活かし、大きな喜びや誇りをもって給仕の奉仕をされている女性信徒もたくさんいらっしゃると思います。
今日の個所も、そのように見て全く問題ないと思います。つまり、ペテロのしゅうとは、自分の賜物をイエス様のための用いること、イエス様をおもてなしすることを心からの喜びと感じている一人の人間として見てみましょう。イエス様は、その思いを持っている一人の人間を癒し、その願いを実現してくださったわけです。
もしかすると、教会の奉仕に義務感や、負担を覚えている人は、男女差別だと感じるかもしれませんね。しかし、イエス様にお仕えすることが楽しみでうずうずしている人は、病が癒され、自分の賜物をイエス様のために用いることができたら、本当にうれしいですね。
ライフチャーチ 大谷 信道


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