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2021年8月2日(月)
マタイの福音書 7:13-14 13狭い門から入りなさい。。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。14いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
【ポイント】 ①「狭い門から入りなさい。」 キリスト教の歴史、現代のキリスト教界の様子を客観的に見ると「狭い門」を広げてしまう教えが蔓延している事に気が付きます。「狭い門から入りなさい」とは、「敢えて困難な道を選びなさい」というような倫理的な教えではありません。14節に「いのちに至る門は小さく」とある通り、これは「救い」「永遠のいのち」についての教えなのです。
しかし、この世の人々は「大きな門」「広い道」が好きなのです。大きな門から入るのは「簡単」ですし、その教えは「寛容」に聞こえます。しかし、イエス様は、人々が聞くのが好きでないメッセージ、つまり「真理」を捻じ曲げることなく、ストレートに語られたのです。イエス様が人々に迎合することもなく、誰に忖度することもなく「真理」を語られたのですから、私たちも「真理」を語り続ける必要があります。とはいえ、私たちは門を小さくしたり、道を狭くすることもしてはなりません。イエス様が語られた通りに、福音を語るのです。
それでは、いのちに至る門はどれほど狭く、小さいのでしょうか。実は、門自体は狭くも、小さくもないのです。イエス様はこのような表現を使っている理由は、13節の「そこからは入っていく者が多いのです」に見ることができます。つまり、門を狭くしているのは、神様ではなく、人間なのです。せっかくすべての人に開かれている門をイエス様が用意してくださったのに、人々は別の道を選んでしまっているのです。「いのちに至る門」を選ぶ人の人数と、「滅びに至る門」を選ぶ人の人数を比べると、後者が圧倒的に多いのです。その状態を見ると「いのちに至る門」が小さく見えるのですが、実際にはそうではないのです。
「いのちに至る門」はすべての人に開かれています。そして、イエス様の呼びかけは次の通りです。
マタイの福音書 16章24節 24それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
私たちは、このイエス様の招きを嫌がる人が大勢いることを知っています。しかし、この招きを勝手に変えて、人々が喜ぶような招きに変えてはなりません。むしろ、自分の罪深さを知った者にとっては「えっ、本当にそれだけでいいの?」と思えるような、広い門に感じるはずなのです。
ライフチャーチ 大谷 信道