デイリーディボーション 8月2日(水)

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デイリーディボーション 8月2日(水)

2017年8月2日(水)

【通読】
マタイの福音書 13:36-43
36それから、イエスは群衆と別れて家に入られた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。37イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。38畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。39毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。40ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。41人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、42火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。43そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。

【ポイント】
①「この世の終わり」に備える
イエス様は、「この世の終わり」のときに「さばき」があることを教えられています。「41・・・つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、42火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。」と、そこに描かれているイメージは大変恐ろしいものです。

残念ながら、この恐ろしい結末を避けるための有効な「儀式」「修行」「まじない」「行い」はありません。イエス様が教えられている唯一の方法は、イエス様の愛に応え、イエス様を愛することです。

ここで重要なことは、「イエス様を愛する」とは具体的にどのようなことなのかを聖書から学ぶことです。多くのクリスチャンの「愛」の理解は「イエス様が好き」とか、「イエス様の教えに賛成する」程度になっている場合が多いようです。大変残念なことです。イエス様はヨハネの福音書15章13節で「13人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」と、愛とは「心の中の気持ち」、「気分」ではなく、「喜んで相手のために大きな犠牲を払うこと」だと教えられています。反対に言えば、ある人がイエス様を愛しているかどうかは、その人がイエス様のために大きな犠牲を払い、そのことを喜びとしているか確かめれば良いのです。

イエス様を愛する者は、この世の終わりのさばきを恐れる必要は全くありません。イエス様は43節で「43そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。」と教えられているからです。イエス様を愛する者にとっては、この世の終わりのさばきは、喜びのときなのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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