デイリーディボーション 8月20日(木)

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デイリーディボーション 8月20日(木)

2020年8月20日(木)
へブル人への手紙 10:8-10 8すなわち、初めには、「あなたは、いけにえとささげ物、全焼のいけにえと罪のためのいけにえ(すなわち、律法に従ってささげられる、いろいろの物)を望まず、またそれらで満足されませんでした」と言い、9また、「さあ、わたしはあなたのみこころを行なうために来ました」と言われたのです。後者が立てられるために、前者が廃止されるのです。10このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。
【ポイント】 ①抑えるべきポイントは一つ 今日の個所は5~7節の詩篇40編からの引用についての説明がなされています。ヘブル書の著者が指摘している問題は、「律法に従って行われるささげもの」が形骸化し(形だけのものになってしまい)、神様はそのようなささげものを喜ばれていないということです。某消費者金融のテレビCMで「そこに愛はあるんか?」というセリフが繰り返し使われていますが、ヘブル書の著者のポイント、イエス様の福音のポイント、そして聖書全体のポイントはそこにあるのです。神様への純粋な愛が伴わない律法の行ないは、神様の目には全く空しいものであるということです。
旧約聖書の中にも記されているこのポイント(神様の御心)について、イエス様は旧約聖書の預言者の誰よりも明確に啓示されたのです。その例の一つが、マタイ22章に記されているイエス様のみことばです。
マタイの福音書22章37-40節 37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』38これがたいせつな第一の戒めです。39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
ライフチャーチの礼拝、デイリーディボーションでは、皆さんの耳にタコができるほど頻繁に引用している箇所ですね。これほど分かりやすい神様の御心についての啓示は、イエス様以前には与えられていませんでしたから、それを聞くことができる私たちは、極めて大きな祝福の中にあると言えます。しかし、同時に、これほどはっきりとした神様のことばを聞いた私たちは、もはや「知りませんでした」「聖書の意味が分かりませんでした」というような言い訳が神様の前で通用しないことを知り、恐れるべきでもあるのです。
例えば、正しいことを主張しているという確信があったとしても、その結果として、教会の中で、争い、分裂、分派などという現象が起きているとしたら、自分はイエス様の戒め(神様の御心)に不忠実である可能性があることに気が付く必要があるということです。争いの当事者にならないように傍観している人も同じです。キリストのからだである教会が愛によって健全に建て上げられることに貢献しない人は、そのことについてキリストからの咎めを受けることになるのです。なぜなら、イエス様は互いに愛し合うことを命令として与えられているからです。
なぜ、今日の個所と「相互愛」が関係あるのか、ヘブル書の著者が伝えようとしてるポイントからずれているのではないかと感じる方もいるかもしれません。しかし、25節まで読み進めてみると、深いかかわりがあることが理解できると思います。そして、「教理」と「相互愛」の実践が結びつかないことに、信仰の形骸化の原因であることも理解できると思います。
ライフチャーチ 大谷信道


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