デイリーディボーション 8月23日(金)

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デイリーディボーション 8月23日(金)

2019年8月23日(金)
マルコの福音書 14:57-60 57すると、数人が立ち上がって、イエスに対する偽証をして、次のように言った。58「私たちは、この人が『わたしは手で造られたこの神殿をこわして、三日のうちに、手で造られない別の神殿を造ってみせる』と言うのを聞きました。」59しかし、この点でも証言は一致しなかった。60そこで大祭司が立ち上がり、真ん中に進み出てイエスに尋ねて言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
【ポイント】 ①ほふり場に引かれていく羊のように・・・ イザヤ書 53章7節の預言を見てみましょう。「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」人々はイエス様に何らかの罪を着せ、可能であれば死刑にしようと必死になっています。一方イエス様は、強いられてではなく、自ら意思で十字架へと進んでいます。ですから、自分にとって不利な証言が行われていたとしても、それに反論する必要がありませんでした。そして、この姿は、イザヤ書に預言されている「苦難の僕」そのものだったのです。
しかし、ほふり場に引かれていく羊との相違点も見ることができます。それは、この出来事についてイエス様がイニシアティブを持たれているという点です。先に述べた通り、イエス様は強いられてでも、人間の計画によってでもなく、天の父とご自分の意思によって十字架に向かっているのです。この先に何も が起きるのかも知らずにほふり場に引かれていく羊とは違うのです。イエス様の沈黙は、預言の成就でもあり、神の御子としての権威の表れでもあったのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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