誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2021年8月28日(土)
マタイの福音書 8:33-9:1 33飼っていた者たちは逃げ出して町に行き、悪霊につかれた人たちのことなどを残らず知らせた。34すると、見よ、町中の者がイエスに会いに出て来た。そして、イエスに会うと、どうかこの地方を立ち去ってくださいと願った。9:1イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた。
【ポイント】 ①イエスが何者であるかを理解する人たちとそうでない人たち 家畜の豚が湖に飛び込み死んでしまうという出来事を知った町の人たちの当然の反応ではあるとは思いますが、町の人々はイエス様に町から出て行くことを望みました。残念ながら、彼らにとって、悪霊につかれた人たちが癒された出来事は大きな喜びではなかったようです。つまり、イエス様は「癒し主」ではなく、恐ろしい能力をもった人にしか見えなかったのでしょう。
しかし、イエス様のこの旅の真の目的はガラダ地方の伝道ではなく、弟子たちにご自分が神の御子であることを見せるためであったと思われますから、イエス様もガラダの人々の願いを聞き入れ、その地を去ったのでしょう。そのような意味では、イエス様はご自分の目的を達成されて、帰途についたわけです。
というわけで、この個所からの私たちに向けられている倫理的な教えはほとんどありません。むしろ、解釈や適用なしのストレートな語りかけがあるのです。それは、「それでは、あなたはこのイエスが何者だとおもいますか?」という語りかけです。もちろん、「この出来事は弟子たちの作り話である」とか、「事実ではないけれども、そこに象徴的なメッセージがある」と考えるクリスチャンの方もいるかと思います。しかし、私はこれらが事実でなければ、このようなばかばかしい作り話を聞く意味は全くないと思っています。世の中には、もっと面白く、ためになるような思想、哲学、神話、小説があるからです。
わたしは、この出来事が事実であったと信じています。事実であるから、イエスが何者であるのかということについて真剣に考えるのです。事実でなければ、イエスは、お気に入りの小説の主人公(登場人物)となるかもしれませんが、自分の人生を委ねたり、人生をかけて従う対象ではなくなってしまうのです。
あなたは、イエスを何者だと思いますか?
ライフチャーチ 大谷 信道