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2017年8月28(火)
【通読】
マタイの福音書 16:24-26
24それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。26人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
【ポイント】
①「ディサイプルシップ・弟子のあり方」よりも「ロードシップ・主のあり方」が大事
「ディサイプルシップ」トレーニング(弟子訓練)の最も重要なポイントは、主であるキリストに従う生き方を身につけることにあります。一般的に弟子訓練プログラムは、聖書の知識、礼拝、祈り、伝道などの方法を「知識」として教えるものが多いと思います。しかし、そこで忘れてはならないことは、本来の弟子訓練の目的は、クリスチャンとしての生き方の「ノウハウ」を教えるものではなく、イエス・キリストを「主」として認めること、つまり、イエス・キリストの「ロードシップ」を大切にする生き方に変えられることにあるということです。
24節の「自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」という箇所を学ぶ時に、「自分を捨てるとはどのような意味か?」「自分は何を捨てるべきなのか?」と考える人が多いことでしょう。その問いかけはとても重要なのですが、その前にもっと大切な質問があります。それは「私は全てを捨ててイエス様を主として従うことを喜んでいるのだろうか?」「自分は天国に行くために、『自分を捨ろ』という命令に仕方なく従っているのか?」という質問です。
今一度、イエス・キリストの愛、赦し、あわれみ、恵み、権威、力を思い起こしてみましょう。「イエス・キリストは全てを捨ててでも従うべき方」だという思いが強くされるはずです。この、イエス・キリストのロードシップを受け入れる時に、自分はイエス様の忠実なしもべとして歩んでいきたいという純粋な「ディサイプルシップ」が築かれていくのです。
ライフチャーチ
大谷信道