デイリーディボーション 8月4日(土)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 8月4日(土)

2018年8月4日(土)

コリント人への手紙 第一 10:1-6
1そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの父祖たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。2そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、3みな同じ御霊の食べ物を食べ、4みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。5にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。6これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。

【ポイント】
①「みな」が大切
今日の箇所では「みな」ということばが繰り返し用いられています。ここから分かることは、パウロが「群れとしての成長」を大切にしていることです。ライフチャーチで繰り返し学んでいるポイントですが、真のクリスチャンの成長とは個人的な信仰の成長ではなく、群れ(教会)としての成長なのです。なぜなら、「全身全霊をもって神を愛すること」「自分を愛するように隣人を愛すること」というイエス様から与えられている使命が忠実に実行されているか否かは、一人ひとりのクリスチャンがキリストの体である教会を愛しているの否か、主にある兄弟姉妹を愛しているのか否か、教会の中に愛の実が結んでいるの否かで確認することができるからです。

神様は、ひとりひとりの信仰の歩みをご覧になります。ですから、誰か一人が罪を犯したからと言って群れ全体に「連帯責任」を問うようなことはされません。しかし、一人ひとりが自分の人生に幸福や充実感を覚えていたとしても、教会の群れの中で愛の実が結んでいなければ、それは神様の望まれている姿ではないのです。

家族のあり方を考えてみれば簡単ですね。例えば、食事のときに、父親はステーキ、母親は寿司、子どもたちはハンバーガなど、そのときに自分が一番食べたいものを持ち寄って食べたとします。一人ひとりは自分が一番食べたいものを食べられるので幸せを感じていることでしょう。もちろん、ときにはこんなイベントがあってもいいでしょう。しかし、単に「個人の幸せの追求」という目的でこのような食事を日常的に行ったとしたら、家族が集まって食卓を囲む意味が薄れてしまうことでしょう。全員が食事に満足したとしても、愛の実を結んでいる家庭ではないのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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