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2020年8月4日(火)
へブル人への手紙7:4-10 4その人がどんなに偉大であるかを、よく考えてごらんなさい。族長であるアブラハムでさえ、彼に一番良い戦利品の十分の一を与えたのです。5レビの子らの中で祭司職を受ける者たちは、自分もアブラハムの子孫でありながら、民から、すなわち彼らの兄弟たちから、十分の一を徴集するようにと、律法の中で命じられています。6ところが、レビ族の系図にない者が、アブラハムから十分の一を取って、約束を受けた人を祝福したのです。7いうまでもなく、下位の者が上位の者から祝福されるのです。8一方では、死ぬべき人間が十分の一を受けていますが、他の場合は、彼は生きているとあかしされている者が受けるのです。9また、いうならば、十分の一を受け取るレビでさえアブラハムを通して十分の一を納めているのです。10というのは、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたときには、レビはまだ父の腰の中にいたからです。
【ポイント】 ①大祭司イエス・キリストについての説明は難しいけれど・・・ その2 ある意味、7章全体は、5章6節で既に引用されている詩篇110編の講解説教と言えるかもしれません。詩篇110編は「メシアは祭司であり王となる」という、将来についての預言であるというのが一般的な理解であると思います。ユダヤ教徒だけでなく、私たちキリスト教徒にとっても、旧約聖書を神のみことばと信じているわけですから、そこに記されている内容をより深く知りたいと思うことは当然のことですし、極めて重要なことです。例えば、使徒の働きの8章では、エチオピアの宦官がイザヤ53章の「苦難のしもべの歌」を読みながら、これが誰なのか分からずに悩んでいるところに、神様がピリポを遣わし、イエス様がこの苦難のしもべであることを説明し、この宦官はイエス・キリストを信じるようになります。ヘブル書の著者もピリポと同じように、詩編110編4節の「あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。」という箇所が、ナザレ出身のイエスによって成就されたことを丁寧に説明しているのです。
残念ながら、日本人(異邦人)の未信者の人たちは、の心には響かない説教かもしれませんが、旧約聖書を神のことばと信じるユダヤ人(ヘブル人)には、大変強く迫るメッセージでなのです。さらに、異邦人でもクリスチャンとなり、旧約聖書を信じるようになった者にとっては、キリストへの信頼を深める、大きな励ましのメッセージとなるのです。
反対に言えば、ヘブル書を読んで、励ましを受けるクリスチャンは、ある意味健全な信仰の歩みをしていることが確認できるのです。私たちクリスチャンにとっての「希望」は、キリストの再臨のときに、私たちの完全な贖い(救い)が完成することであり、私たちの「励まし」とは、ナザレ出身のイエスが単なる人間ではなく、間違いなく旧約聖書に約束されていたメシア(救い主)であり、最後の最後まで信頼し続けてよいお方であるという確信を深めることなのです。
ライフチャーチ 大谷信道