デイリーディボーション 8月4日(金)

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デイリーディボーション 8月4日(金)

2017年8月4日(金)

【通読】
マタイの福音書 13:44-50
44天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。45また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。46すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。47また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。48網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。49この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、50火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

【ポイント】
①天の御国の素晴らしさとは?
昨日は、「天の御国」の素晴らしさ、その価値について考えているという課題を出しました。イエス様は「持ち物を全部売り払って」でも手に入れたくなるのが「天の御国」であると説明されていますが、皆さんはその素晴らしさ、価値を認識することができたでしょうか。

「天の御国」の素晴らしさ、価値は「神様との愛の関係」にあります。天国は単なる「場所」ではありません。神様がその愛によって国を収め、その国民は心から神を愛し、隣人を愛するところなのです。豪邸をプレゼントされ、「一生ここに一人で住んで下さい。」と言われたらどうでしょうか。しばらくは家のデザインや広々とした空間を満喫できるかもしれませんが、すぐに孤独、虚しさを覚えるようになることでしょう。天国はそのようなところではありません。私たちは神様との直接的な愛の交わりの中に真の幸せ、喜びを覚えるのです。私たち人間が必要としているのは「家・場所」ではなく「家庭・家族」なのです。

ですから、「神様との愛の交わりの中で永遠を過ごすことができるところがある」と聞き、その価値を理解する者は「持ち物を全部売り払って」でも、そこに行きたいと考えるはずなのです。

②後から悔やんでも遅すぎる
イエス様は、もう一つの現実について教えられています。それは、「天の御国」に入れなかった人は「泣いて歯ぎしりする」という現実です。まさに「後悔先に立たず」なのです。イエス様の福音をいい加減に聞いてしまった人、イエス様を信じるかどうかの決意を先延ばしにしてしまった人は、さばきの時に後悔するのです。

しかし、イエス様のみことばを信じ、イエス様を信頼することに人生を賭けた人は、イエス様への愛、信頼ゆえに報いを得ることができます。また、天の御国に入り、神様との愛の交わりの中で永遠を過ごすことができるという約束によって、私たちは、地上での生活に「希望」を持つことができます。自分の人生がどのように転んでも、最終的には祝福の中で永遠を過ごすことができるという希望があれば、人生を思い切って生きて行くことができるのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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