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2017年8月5日(土)
【通読】
マタイの福音書 13:51-52
51あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」彼らは「はい」とイエスに言った。52そこで、イエスは言われた。「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」
【ポイント】
①イエス様が見本
イエス様はマタイ5章でこのように宣言されました。「17わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」つまり、イエス様は「古い教え」を廃棄し「新しい教え」だけを伝えるために来られたのではなく、「古い教え」と「新しい教え」の両方から神様の御心について明らかにするために来られたのです。それは、イエスの主人が「古い物」でも「新しい物」でも、家族のために「良いもの」を選び、家族に与えるのと同じなのです。
例えば、「この世の終わり」の神様のさばきについての教え(13:49)などについて、リベラルなクリスチャンの中には「古い教え」と一蹴してしまう人が多くいるようです。ある牧師の会合で、「まさか、この中に依然として『地獄』のようなことを信じている人はいないと思いますが・・・。」と言うような発言をされた牧師がいました。現在その牧師はある神学校の校長をされています。これが、イエス様の時代、そして現代の教会が直面している事実なのです。
ですから、私たちは常に謙虚にイエス様のみことばに聞き続ける必要があります。時代の流れ、風潮に左右されず、新しかろうが、古かろうが、それがイエス様のみことばであるならば、その教えにしっかりと耳を傾ける姿勢が求められているのです。
ライフチャーチ
大谷信道