デイリーディボーション 8月7日(月)

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デイリーディボーション 8月7日(月)

2017年8月7日(月)

【通読】
マタイの福音書 13:53-58
53これらのたとえを話し終えると、イエスはそこを去られた。54それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。55この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。56妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」57こうして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」58そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。

【ポイント】
①イエス様への信仰を邪魔するもの
イエス様はご自分の郷里(ナザレ)に行って、会堂で教えられます。ナザレの人々はイエス様が「会堂」で教えられることを許し、その教えに驚き、イエス様が「知恵と不思議な力」を持っていることを認めます。しかし、人々にとってはイエス様は「大工ヨセフのところのイエス君」というイメージしかなかったために、イエス様をメシアとして受け入れることができなかったのでしょう。

ここでの問題はナザレの人々が合理的、理性的な判断ができなかったということです。彼らはイエス様の「知恵」「不思議な力」に驚いているにもかかわらず、「大工の息子」という先入観、または「あいつを子どものころから知っている」というプライドが邪魔をし、正しい判断ができなかったのです。

聖書の記述が事実であることを前提として考えてみましょう。聖書の記述から導き出すことができる合理的な結論は「イエスがキリストである」と言うものです。また、イエスがキリストであることを前提として考えてみましょう。私たちのイエス・キリストに対する、あるべき態度、応答は、「愛」「信頼」「従順」です。

もし、イエス様に対する「愛」「信頼」「従順」に至っていないとしたら、どこに問題があるのかをしっかり考えてみましょう。「聖書の記述が事実である」と信じられない人は、聖書の信頼性について学びを深めてみると良いでしょう。納得の行く説明が得られるはずです。「イエスがキリストである」と頭では認知していても、信頼し人生を委ねていくことに抵抗を覚えている人は、なぜ自分の「救い・滅び」「天国・地獄」を決める権威を持っている方に従うことができないのか、その具体的な理由を考えてみましょう。何が正しい判断の邪魔をしているのかが明確になると思います。

ライフチャーチ
大谷信道


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