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2020年8月7日(金)
へブル人への手紙7:23-25 23また、彼らの場合は、死ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司となりました。24しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。25したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
【ポイント】 ①永遠の大祭司イエス・キリストを信頼する 日本人の中には、自分の亡くなった親、祖父母などが、いつも自分と一緒にいてくれて、自分を守り、導いてくれていると信じている人が多くいます。日本人に限らず、世界中で多くの人がそのような「感覚」を共有していることだと思います。残念ながら、クリスチャンでさえも、この感覚をリセットできていない人が大勢いるのではないでしょうか。だからこそ、カトリック教会のマリア、守護聖人、守護天使などの考え方は、人類の先祖崇拝の「感覚」に非常にマッチし、広く受け入れられてしまったのではないかと、個人的には考えています。
そのような意味で、大祭司イエス・キリストという霊的な真理(現実)は、人類の先祖崇拝という間違った感覚をリセットするためにも、極めて重要ではないかと考えます。あなたは、地上に生きる人間を導いたり、天の父との執り成しをしてくれる存在は、キリスト以外に存在しないという霊的な真理を受け入れ、古く間違った先祖等についての感覚を、はっきりと捨て去る決意をしているでしょうか。
すでに地上を去ったあなたの家族や愛する人々、過去の聖人と呼ばれるようなクリスチャンたち、天使たちが、あなたにメッセージを送るとしたら、間違いなく「私たちを信頼することを止めなさい。イエス・キリストだけを信頼しなさい!」という忠告をしてくれていることでしょう。なぜなら、彼らは、大祭司イエス・キリストという霊的な真理を現実として見ているからです。
亡くなった家族との思い出を大切にすること、亡くなった人たちの遺志を大切にすることは、崇拝とは別のことです。日本ではお盆の時期ですから、亡くなった愛する人々に思いを馳せることも良いことでしょう。しかし、繰り返しになりますが、彼らのあなたに対する思い、メッセージは「イエス・キリストだけを信頼しなさい(愛しなさい)」というものであることを忘れてはなりません。今日のポイントと完全に合致するわけではありませんが、ルカ16章を見てみると、イエス様が教えられた霊的な現実を想像できると思います。
ルカ16章27-31節 27彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。28私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』29しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』30彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』31アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」
ライフチャーチ 大谷信道