デイリーディボーション 8月8日(木)

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デイリーディボーション 8月8日(木)

2019年8月8日(木)
マルコの福音書 14:17-21 17夕方になって、イエスは十二弟子といっしょにそこに来られた。18そして、みなが席に着いて、食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」19弟子たちは悲しくなって、「まさか私ではないでしょう」とかわるがわるイエスに言いだした。20イエスは言われた。「この十二人の中のひとりで、わたしといっしょに鉢に浸している者です。21確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
【ポイント】 ① ユダについて深く考える 多くのクリスチャンはイスカリオテのユダに「悪者」「裏切者」というレッテルを貼り、彼についてそれ以上深く考えることをしないかもしれません。しかし、イエス様は自分を十字架につける「汚れ役」を背負わせるためにユダを弟子として招かれたのではありません。他の12弟子と同じように、最後まで彼を愛したのです。(ヨハネ13章)
それでは、ユダはイエス様を全く愛していなかったのでしょうか。決してそうではありません。彼が、後に大きな後悔(悔い改め)を覚えた出来事からも、彼がイエス様に愛の気持ちを持っていたことは明らかです。しかし、イエス様が教えられた「愛」とは、イエス様を信頼すること、従うこと人生の最優先事項、一番大切にすることです。ユダはイエス様に従うことを最優先事項として選択することができなかったのです。
「でも、ユダがいなければ、イエス様が十字架にかかることはなかったので、やはりユダは最初から呪われた者、呪われるべき運命だったのではないか?」と疑問に思う人もいることでしょう。神様についての二つの事実を思い出しましょう。一つ目は、神様は私たち人間をご自分に似たものとして創造され、自由な意思を与えられたということです。つまり、神様はユダが罪を犯すようにプログラムすることも、罪を犯さないようにプログラムすることもされないということです。ユダの裏切りは、彼の自由な意思の中での決断(誘惑に負けたための)だったのです。2番目は、神様はご自分の計画を必ず成し遂げる方であるということです。もし、ユダがイエス様を裏切らなかったとしても、独り子の死によって全人類の罪を贖うという計画は、別の形で必ず成し遂げられていたはずです。
イエス様愛は自分をユダヤ人に売り渡されたことで、ユダを恨んだり、呪ったりするようなことはありません。そもそも、イエス様を十字架にかけ、殺したのは、ユダでもなく、ピラトでもなく、ユダヤ人でもなく、殺されたのは天の父なのです。そうではなく、キリストを愛さないという決断によって、自ら滅びへの道に進んでしまったユダの悲惨な結末についてイエス様は大変心を痛められたのだと思います。
ライフチャーチ 大谷信道


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