デイリーディボーション 8月8日(水)

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デイリーディボーション 8月8日(水)

2018年8月8日(水)

コリント人への手紙 第一 10:13
13あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。 【ポイント】
①イスラエルの民の失敗から学ぶ ーその2ー
今日のは多くのクリスチャンの励ましとなっている箇所です。しかし、人々から愛されている聖句ほど文脈とは関係なく解釈されてしまっているものが多いので注意が必要です。聖句を文脈から切り離し、自分の説教のテーマに合うように切り貼りをする牧師、伝道者に大きな責任があるのです。

神様が信じる者たちに対して、神様への信頼を深める目的で試練を与えられることがあること、さらに、それは訓練のための試練なので必ず試練の先に祝福があることは聖書全体から知ることができる事実です。しかし、今日の箇所が、私たちが人生で体験する「あらゆる種類の試練」についての教えなのかどうかは、この一節だけでなく前後の文脈から考えることが大切です。

実際、パウロが思い描いている「試練」とは何でしょうか?ここで、コリント教会のクリスチャンに与えられている試練、彼らが試練として受け入れるべき事柄は何なのでしょうか。特に前の箇所を読み直して考えてみましょう。

まず、この「試練」は誰に与えられているものでしょうか。それは「コリント教会」です。パウロは個人の日常生活の中で直面している試練ではなく、コリント教会が直面している試練について話をしているのです。それは、「偶像にささげられた肉」の取り扱いに関して、教会の中で「不一致」「つまずき」などの問題が起きていることです。教会の中で「イエス・キリストの愛による一致」を祈っている人々にとっては、今の状態はまさしく「試練」そのものなのです。

「教会の一致」という超重要ポイントが抜け落ちるときに、今日の箇所は本来の意味を失ってしまうことになります。神様が私たちを様々な試練から救い出して下さることは聖書的な事実です。しかし、今日の聖句は、一般的な試練ではなく、コリント教会が直面している具体的な試練について教えられているのです。明日以降の箇所を読み進めると、さらによく分かると思います。

ライフチャーチ
大谷信道


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