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2021年9月1日(水)
マタイの福音書 9:5-8 5『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。6人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。7すると、彼は起きて家に帰った。8群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神をあがめた。
【ポイント】 ①宗教熱心からくる大きな勘違いに注意 その2 5節のイエス様の質問は、質問の答えは「両方とも人間には不可能」となるでしょう。もし、『あなたの罪は赦された』という表現を使わず、単に『起きて歩け』とだけ言ったとしたら、律法学者たちはつまずきを覚えなかったのでしょうか。そのようなことはありません。たとえイエス様が『起きて歩け』と言ったとしても、彼らは「お前は神か?」という激しいツッコミを入れたことでしょう。
結局のところ、イエス様がどのようなことばを口にしたとしても、イエス様のことばによって歩くことができなかった中風の人を癒し、立ち上がらせることができれば、それを見た人は、イエス様が神の御子であると信じることができたことでしょう。
事実、中風の人の癒しをみた人々の反応は「群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神をあがめた」というものでした。そして、それがイエス様の目的だったわけです。
ですから、繰り返し学んでいるように、この個所を読んだ人が考えることは「私もいやしていただけるだろうか?」とか「私たちも癒しの業を行うことができるだろうか?」などというものではありません。私たちが考えるべきは、「足の不自由なひとを言葉によって一瞬でいやすことができる、このイエスとい人物は何者だろうか」ということです。
ライフチャーチ 大谷 信道