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2017年9月1(木)
【通読】
マタイの福音書 17:5-8
5彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がした。6弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。7すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない」と言われた。8それで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。
【ポイント】
①天の父とイエス様は一致している
昨日の箇所で弟子たちはイエス様が律法の象徴であるモーセ、預言者の象徴であるエリヤが調和している姿を目撃したわけですが、この出来事には続きがあります。それは、天の父がイエス様について「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」と言われた声を、光り輝く雲の中で聞いたのです。この出来事は、イエス様が旧約聖書と矛盾していないことだけでなく、イエス様が「神の子」であり、神様の御心と完全に一致する者であることを示しています。さらに、「神の子」であるということは、モーセ、エリヤ以上の権威を持つ者であるという証明でもあります。
②弟子たちのための証し
「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」という神様のことばは、イエス様に対してでも、モーセ、エリヤに対してでもなく、その場にいたペテロ、ヨハネ、ヤコブのために発せられたことばであることが明らかです。つまり、17章1節から8節までの出来事は、この3人にイエス様が何者であるのかを教えるためのものだったわけです。
16節の終わりの時点では、ペテロは、ご自分の十字架について予告したイエス様に対して説教するような態度を見せてしまいました。それは、ペテロがイエス様の権威、力を十分に理解していなかった証拠です。ですから、イエス様はご自分が何者であるのかをこれまで以上の方法で示す必要を覚えられていたのでしょう。
ライフチャーチ
大谷信道