デイリーディボーション 9月10日(月)

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デイリーディボーション 9月10日(月)

2018年9月10日(月)

コリント人への手紙 第一 14:21-22
21 律法にこう書いてあります。「『わたしは、異なった舌により、異国の人のくちびるによってこの民に語るが、彼らはなおわたしの言うことを聞き入れない』と主は言われる。」22それで、異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。けれども、預言は不信者でなく、信者のためのしるしです。

【ポイント】
①教会の徳を高める ーその7ー
今日の箇所は一見すると、前後の内容と矛盾するように思えます。22節の「異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるし」という箇所を読むと、パウロが異言は不信者が信じるようになるための手段であると教えているようにも見えますが、実際にはそうではありません。

21節の旧約聖書はイザヤ28章11-12節の引用だと思います。「11まことに主は、もつれた舌で、外国のことばで、この民に語られる主は、12彼らに『ここにいこいがある。疲れた者をいこわせよ。ここに休みがある』と仰せられたのに、彼らは聞こうとはしなかった。」 パウロをはじめ、ユダヤ人が旧約聖書から知っていることは、神様が神様を信じようとしない者たち(不信者)に対して預言者だけでなく「もつれた舌」「外国のことば」で語られたけれども、結局心を頑なにしている不信者は聞き入れようとしなかったということです。つまり、もし神様が人を用い、異言で語られようとしているのであれば、それは人々が不信者となっている証拠なのです。さらに、異言で語っても結局不信者には効果がない無駄な行いであるということなのです。

イザヤ書をちゃんと確認すれば、パウロが本当に言いたかったことが分かりますね。

ライフチャーチ
大谷信道


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