誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2023年9月12日(火)
【今日のみことば】 コリント人への手紙第一 1:22 22ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
①イエス様の福音で、日々心が満たされる練習をする。 その2 繰り返し学んでいることなのですが、私たちが知るべきクリスチャンの最大の問題(課題)は、祝福についての勘違いです。多くのクリスチャンは、自分にとっての祝福とは「自分を幸せだと感じさせる何か」だと勘違いしています。もっと具体的に言えば、神様に仕え、祈り求めた結果として、経済的な豊かさ、健康、良好な人間関係などが与えられれば、心に平安と幸せを覚えることができると思い込んでいるのです。これは、生活習慣病を患っている人が「好きなものを好きなだけ食べたり飲んだりできたら幸せになれるのに!」と思ったり、お医者さんに、薬や生活指導ではなく、問題の原因になっている食べ物や飲み物をくれるようにお願いしているのと同じなのです。つまり、神様が与えようとしている本当の祝福ではなく、自分の欲求が満たされるという自分の求める祝福ばかりを要求している場合があるということです。
パウロは、この問題についてはっきりと教えてくれているのです。パウロはイエス様の福音そのもの、愛と恵みの福音だけが、人間に本当の祝福を与えるものだということを自らの体験を通して確信していました。しかし、ある意味当然のことなのですが、この世のほとんど人は、そのことを理解していません。自分の欲求が満たされることが本当の幸せだと思い込んでいるからです。パウロは、ユダヤ人はしるしをもとめ、ギリシャ人は知恵を求めるという傾向があることを教えています。しかし、それらは一時的に人間的な欲求を満たすことができるかもしれませんが、本当の意味で人間を救うことも、本当の幸せを与えることもできないのです。
この1点を理解するだけで、私たちクリスチャンの多くが健全な信仰の歩みへと促されることでしょう。同時に、自分の信仰がいかに肉的であったのか、自分の欲求を満たすために神様を利用していたという自己中心性(罪深さ)に気が付かされることでしょう。さらに、どれほど多くの牧師、教会が、人々の欲求やニーズを満たすことばかりに熱心に取り組んでしまっているのか、そしてそのような教会が「人々のニーズに応えるすばらしい教会」だと認識されてしまっているのかに気が付くことでしょう。
あなたは祈りの中で、神様に対して何を要求し、何を追求しているでしょうか。それは、本当にあなたに幸福や平安を与えることができるでしょうか。それらを手にしたとしても、すぐにそれが当然になり、新たな欲求が心に湧き上がってくるのではないでしょうか。真剣に考えてみましょう。
ライフチャーチ 大谷 信道