デイリーディボーション 9月14日(金)

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デイリーディボーション 9月14日(金)

2018年9月14日(金)

コリント人への手紙 1cor 14:29-30
29預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。30もしも座席に着いている別の人に黙示が与えられたら、先の人は黙りなさい。

【ポイント】
①パウロの指示に従う  ー4ー
まず「預言」について考えてみましょう。クリスチャン以外の人は「預言」と聞くと未来に起こる出来事を言い当てることだと思っているでしょう。確かに、聖書の中にも神様が預言者を通して未来のことについて語られている箇所が沢山あります。しかし、旧約聖書全体を読めば、預言者が与えられている使命は未来予告ではなく、神様の御心(意思、約束、計画)を人々に伝えることだと理解できます。

次に、ヘブル人への手紙1章を読んでみましょう。「1神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、2この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。3
御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」

3節の「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われ」という、神様の預言の最終型は「イエス・キリスト」であるということです。さらに、1節の「1神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが」という箇所では「預言」が過去のもの、古い方法であることが示唆されています。つまり、イエス様が「神様の本質」を明らかにされた今、もはや預言者は必要ないということです。イエス様以上の啓示はありえないからです。

ですから、パウロの手紙の中で用いられている「預言」の賜物とは、その賜物が与えられている者が預言者というものではないということです。しかも、パウロは「預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい」と教えています。もし、これが預言者の預言であれば、それは神様のことばそのものですから「吟味する」なことは許されざる行為のはずです。しかし、パウロが吟味するように教えているということは、ここでの預言は「絶対的な神のことば」ではなく、あくまでも「人のことば」であり、私たちのよく知っている「説教」「礼拝メッセージ」のようなものだと言うことです。

「牧師のメッセージは神様のことばだ!」というような教え方をする教会もあるようです。しかし、今日の箇所からもそうではないことが分かります。牧師は神様の御心を求め、聖霊の助けを祈り、教会に必要なメッセージを行うわけですが、聞く者はそれを鵜呑みにするのではなく、そのメッセージが聖書のみ言葉と一致しているのかどうかを確認することが大切なのです。もちろん、それは牧師のメッセージのあら捜しをする目的ではありません。信徒が牧師と一緒になり、みことばに聞き、神様の御心を一緒に求めるためなのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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