デイリーディボーション 9月16日(水)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 9月16日(水)

2020年9月16日(水)
へブル人への手紙 12:4-6 4あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。5そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。6主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
【ポイント】 ①神様のコミュニケーション方法を知る 人間を創造された神は、人間が分かる方法でコミュニケーションを行われます。特に、神様の最終的な啓示である「イエス・キリスト」がそうであることが、ヘブル書1章1節から知ることができます。
ヘブル人への手紙1章1節 1神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、2この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。ライフチャーチ
あなたは、この出来事の素晴らしさを本当に理解していますか? 神様は、一部の特別な人(預言者など)にしかその意味が理解できないような、テレパシー的な方法ではなく、誰でもが見ることができ、誰でも聞くことができ、誰でもが理解できる方法で神様の計画について語られたのです。それが、イエス・キリストなのです。つまり、私たちは神様の計画、神様の御心について、特定の預言者、王、祭司などと経由せず、直接知ることができているということなのです。別の言い方すれば、この出来事は、この世的な宗教システムの中核になっている「自分だけが神のことばを受けることができる」「自分だけが人に祝福を与えることができる」という悪い意味での「教祖」「祭司」「預言者」が握っている特権を廃止し、そこから生じる(特別な地位、そこからもたらされる金銭)をも廃棄することになったのです。
しかし、皮肉なことに、人々の中には、すべての人に明らかにされ、しかも無償で与えられるイエス・キリストの啓示に満足できず「天使」についての神秘的な話や、特定の人だけが知ることができる「霊的な知識」などに魅力を感じ、イエス・キリストの福音に何かを加えたり、引いたりする人達が出てきてしまったのです。それは、人間のもつ「罪の性質」のせいであると言うことができます。つまり、他の人が知らない特別な「霊的な高み」「霊的な知識」などを、自分が会得することに喜びを感じてしまうという人間の性なのです。他者との比較のなかで自分が優位に立っていることに平安(快感)を覚えるという罪の性質の典型です。
イエス・キリストによって啓示された神様の愛によって、私たち人間は他人との比較に一喜一憂する人生から解放されたはずなのに、罪の性質が再燃してしまうことがあるのです。ですから、私たちは自分の罪の性質のこのような現象とも戦わなければならないのです。なぜなら、そのままでは、イエス様の十字架の死を無にし、イエス・キリストを信じることによって与えられた家庭での祝福、教会での祝福、職場での祝福を無にすることになりかねないからです。
昨日の聖句を思い出しましょう。ヘブル人の教会では「信仰の創始者であり、完成者であるイエス」から目を離してしまった人がいたのです。そのような状況に対して、著者は「血を流すまで抵抗する」ようにと勧めているのです。イエス・キリストから目を離させようとする誘惑がこの世にはたくさんあるからです。そのような弱さをもった私たちに対して、神様は今日も「こどもに対するように」語ってくださっているのです。
ライフチャーチ 大谷信道


side_worship side_info