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2022年9月16日(金)
ローマ人への手紙 2章12-15節 12律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。13それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行なう者が正しいと認められるからです。14――律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをする場合は、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。15彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。――
【ポイント】 ①とは言え、結局はすべての人が罪人 今日の個所はちょっと分かりにくい感じがしますね。ここで大切なことは、パウロが誰に向かって語っているのかを確認することです。パウロは2章の1節で「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。」と言っていますね。つまり、パウロはすべてのクリスチャンに対してではなく、律法主義的な信仰に陥り、他者をさばく「ユダヤ人」に対して語っていることが分かります。
と言うことは、パウロは「ユダヤ人」たちの信仰や価値観に合わせて話をしてると理解することができるわけです。つまり「律法の行ないによる義」を信じている人たちに対して、ユダヤ人であろうが、律法を知らない異邦人であろうが、律法に書かれている事柄を実践していれば、神様の前に義と認められると語っているわけです。異邦人が自然と律法に従い義とされるという考え方は、選ばれた民であると思い込んでいるユダヤ人にとっては侮辱的はものであり、到底受け入れられるものではなかったでしょう。
パウロの真のポイントは、先に述べたことの裏返しなのです。1ユダヤ人であること、律法が与えられていることを誇るユダヤ人たちに対して、律法をを完全に全うしなければユダヤ人であろうが、異邦人であろうが神様のさばきを受けるということなのです。そして、手紙を読み進めて行けば、律法を完全に行うことは不可能であるということ、そして神様の恵みがない限り、すべての人が罪人として裁きを受けるということが分かるわけです。
ローマ人への手紙 3章23-24節 23すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、24ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
すべての人が罪のさばきを受けるという事実、自分自身もその裁きから逃れることができないという事実を素直に認めるときに、イエス様の福音に光が当たるのです。
ライフチャーチ 大谷信道