デイリーディボーション 9月17日(金)

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デイリーディボーション 9月17日(金)

2021年9月17日(金)
マタイの福音書 9:35-36 35それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。36また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。
【ポイント】 ①神様の視点を知る 今日の個所には、人々を見たイエス様が「羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」と記されています。残念なことに、神殿に関する既得権益を守ることに必死だった祭司(サドカイ人)たちだけでなく、会堂において人々に熱心に律法を教える教師たち(律法学者・パリサイ人)たちも、権力・権威を求めるようになり、誰も人々のことを真剣に考えなくなっていたのです(詳しくは23章を読んでみましょう)。
それでは「羊飼いのない羊」とは、具体的にどのような状況だったのでしょうか。言うまでもなく「羊飼い」は「神様」で、「羊」は「人々」です。つまり、祭司、教師たちが神様から与えられている責任は「人々」を「神様」に繋げることです。別の言い方をすれば、「人々」が「天の父」の愛に気づき、その愛を受け入れ、「天の父」を愛するようになり、父と子の愛の関係が築かれていることです。イエス様、神様の愛を知らずに生きているユダヤ人を見て、その状態は「弱り果てて倒れている」ようなものであり、「かわいそう」に思われたのです。
現代のキリスト教会どうでしょうか。牧師、教師たちは人々が神様との愛の関係の中で平安を覚えることができるようになることに全力を傾けているでしょうか。伝道者は、信仰決心した人が本当に神様を愛する決心をしたのか確認しているでしょうか。教団や教会の行事、運営に忙殺されている人はいないでしょうか。メッセージが自己啓発セミナーのようになっている牧師、社会活動が生活の中心になっている牧師、自分の興味のある神学、聖書解釈を教えることで満足している説教者はいないでしょうか。イエス様の視点からすると信徒が「弱り果てて倒れている」状態になっているのに、牧師も、信徒自身もそれに気づいていないことはないでしょうか。
あなたが、神様・イエス様との愛の関係によって心に平安を覚え、満足している状態になければ、何かが間違っているのです。そして、その間違いを正す唯一の方法は、神様との愛の関係を築くことです。そして、この点を牧師と信徒が共有することです。牧師だけが頑張っても、信徒だけが頑張っても、その頑張りが同じ方向でなければ、混乱が生じてしまうだけなのです。まずは、他者のことが考える前に、自分のことを考えてみましょう。あなたは、神様・イエス様としっかり繋がっていますか?
ライフチャーチ 大谷信道


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