デイリーディボーション 9月19日(土)

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デイリーディボーション 9月19日(土)

2020年9月19日(土)
へブル人への手紙 12:14-15 14すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。15そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、
【ポイント】 ①神様は求めるものを与えてくださる まず、イエス様のみことばを確認してみましょう。
マタイの福音書 7章7-11節 7求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。8だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。9あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。10また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。11してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
唯一でまことの神様は、私たちが求めるものを必ず与えてくださいます。と言うことは、私たちは「求めるもの」を間違えてはならないということです。つまり、まことの神様との交わりを求めるのであれば、純粋にまことの神様を求めなければならないということです。まことの神様を自分の物質的な欲求を満たすため、自分の精神的な欲求を満たすために必要な存在だと勘違いしている人は、まことの神様を求めていないわけですから、神様との交わりは与えられないのです。しかし、実はそこで「罪の意識」が重要な役割を果たすのです。つまり、自分の心の中を正直に見つめ、自分の不完全さに直面し、その不完全さを克服しようと思う人は、自分の深刻さに気付き、とても訓練などによって克服できるものではないと知り、自分の得、自分の成長などという不純な思いはどこかに消え去り、純粋な思いで神様を求めることでしょう。純粋な思いでまことの神様を求めるものには、神様の純粋な思いで応えてくださるのです。「求める」「捜す」「たたく」とはそういうことなのです。
そのことを明確に教えてくださったのが、誰でもなくイエス様なのです。そして、それがイエス様の福音なのです。だれでも神について、愛について、あたかもそれが本当のことかのように教えることは可能です。「神様が本当に存在するとしたら、どのような方でしょうか?」と小学生に質問すれば、心に響く、素晴らしい、理想の神様の姿についてたくさん聞くことができるはずです。しかし、これを大人が真面目に行ったり、その考えを広めようとしたらどうでしょうか。日本においては、憲法によって言論の自由が与えられていますから、それは犯罪にはなりません。しかし、それを聞く私たちは、その教えの根拠、証拠を確認することができなければ、それらはあくまで「個人的な考え」の域を出ないものであり、決して「事実」として信じるに値するものではないと判断することができます。ですから、イエス様のことばはどうでしょうか。イエス様の教えが「想像」でも「嘘」でもなく、事実であったことは、イエス様の十字架の死によって証明されているのです。だから「福音」と呼ばれているのです。
そのような意味で、今日の「神の恵みから落ちる」とは、「恵み」について明確に語られている「イエス・キリストの福音」から離れ、福音に何かを付け足したもの、引いたもの、または、全く別の教えなどを信じてしまうことを意味しているのです。聖書は、このような「的外れ」な生き方を「罪」と呼んでいるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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