デイリーディボーション 9月19日(火)

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デイリーディボーション 9月19日(火)

2017年9月19(火)

【通読】
マタイの福音書 19:16-22
16すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」17イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」18彼は「どの戒めですか」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。19父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」20この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」21イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」22ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。

【ポイント】
①「死」という重大な問題を直視する
一般的に、私たちの関心事(興味・夢・心配事など)は年齢によって変化します。若い内は、「楽しいこと」「好きなこと」「恋愛」などが頭の中を占めていることが多いでしょう。学校を卒業し、経済的に自立が求められる世代になれば、「自分の職業」「キャリア」などについての「夢」を描いたり、実際の就職活動が始まれば。「夢」と「現実」が一致させることができるのか大きな「不安」を抱くこともあるでしょう。就職すれば、仕事を覚えることに必死になるでしょう。その後も、結婚、子育て、子どもの教育など、目の前に起きてくる様々な出来事で頭がいっぱいになってしまうものです。

先に挙げた若い人の関心事の共通点は「どのようにして生きるのか?」という課題です。しかし、若い人たちは「どのようにして生きるのか?」という問題には熱心に取り組みますが、表裏一体である「どのように死んでいくのか?」という問題については、興味関心を示さないことが多いのです。ところが、今日の箇所に登場する青年はその若さにもかかわらず自分の死について重大な関心を持っていたことが「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」(16節)から伺うことができます。恐らく、自分の欲しいもの(財産、地位、名誉)を全て手に入れたために、自分の死について心配を覚えていたのかもしれません。

恐らくこの青年は、律法を遵守し、正しく生きてきたという自負から、神様から「永遠の命」が約束されているという自信があったのでしょう。「イエス様から何かを教えてもらおう」というよりは、「イエス様から褒められよう」「イエス様から永遠の命のお墨付きをもらおう」というような不純な動機があったようにも思えます。さらに、21節以降を見ると、イエス様のみことばに従うことができなかったという残念な姿を見ることもできます。

しかし、このようにちょっと残念な青年からも、私たちが学ぶ事できる重要な事があるのです。それは、彼は自分の「いのち・死」の問題に目を向けていたということです。彼の姿から、たとえ自分の夢をすべて実現し、誰もが羨むような財産、地位、名誉を手にしたとしても、「いのち・死」の問題は解決されないことという事実を学ぶ事ができるのです。つまり、私たちも、若いうちから自分の「いのち・死」、特に「死」について真剣に取り組まなければならないという事です。「死」の問題を先送りにしていると、いずれ「進路」などとは比べ物にならないほど大きな不安となって私たちを襲ってくる可能性があること、「死」の問題が解決されていなければ、自分の夢を実現したとしても、本当の平安、幸せを手に入れることができないこと、私たちは若いうちから知っておく必要があるのです。

ローマ人への手紙 6章8-9節
8もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。9キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。

大谷信道


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