デイリーディボーション 9月2日(水)

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デイリーディボーション 9月2日(水)

2020年9月2日(水)
へブル人への手紙 11:4-6 4信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。5信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
【ポイント】 ①「信仰」について深く考える まず、創世記 4章3-7節を読んでみましょう。
3ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、4アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。5だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。 6そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。7あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
アベルのささげものは、カインのそれと比べて「種類」「品質」「分量」などが良かったということでしょうか?そうではありません。神様の「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。7あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。」という表現から、カインは自分のささげものについて、神様の前に「やましいこと」「正しくないこと」があったことが推察できます。別の言い方をすれば、神様は、カインの神様に対する愛、感謝に関して不誠実な部分があることをご存じだったということです。
エノクについては、具体的な地上での歩みが記録されていません。ただ、創世記5章24節に「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」とあるだけです。しかし「エノクは神とともに歩んだ」という一言から、エノクが神様を愛し、神様の御心に沿って生きていたことが想像できます。つまり、律法が与えられる前の時代であっても、見えない神様の存在を信じ、神様を愛し、神様に喜ばせる歩みを選び取っていた人々がいたということなのです。
繰り返し学んでいますが、宗教システムに忠実に生きることではなく、見えない神様を、見える方として受け入れ、愛し、御心、ご計画に従って歩む生きることが、本来の「信仰」の姿であるということなのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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