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2017年9月20(水)
【通読】
マタイの福音書 19:21-24
21イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」22ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。23それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。24まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
【ポイント】
①完全になりたい?
この青年は、行いが完全であれば「永遠のいのち」を手に入れることができると考えていました。そして、彼は自分の行いが完全であるので、自分は「永遠のいのち」を手に入れることができるだろうと期待していました。
ここで重要なポイントは、イエス様はこの青年の「律法を完全の行えば永遠のいのちを手に入れることができる。」という考えに合わせて話しをされているということです。「行いによって完全な者になることは不可能である。」というイエス様の真理に気づかせるために、あえてこの青年の価値観を否定せずに話しを続けられたということです。
ですから、イエス様の「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。」(21節)ということばは、「永遠のいのちを手にするためには、自分の持ち物をすべて売り払って貧しい人々に分け与えなさい」と、永遠のいのちを手にするための方法(戒め)を教えたのではなく、「あなたは自分が完全であると思い込んでいるが、実際には財産に執着するという罪深い面を持っていますね。」と、彼の不完全さ、罪深さについて教えようとされたのです。
②真面目な人は注意
恐らく、この青年は律法を守ることを喜びとして生きて来た大変誠実な人だったの思われます。自分が罪深い人間であると指摘されるとは夢にも思っていなかったことでしょう。しかし、そこに「悔い改め(救い)の必要を感じない」という落とし穴化があったのです。実は、日本人の中にはこの青年と同じような感覚、つまり「自分は結構良い人間である」という感覚を持った人、実際に非常に倫理観が高く、誠実な生き方を続けている人が意外と多く存在するようです。
このような人は罪の自覚が薄く、悔い改め、救いの必要を感じることも少ないのです。「自分は平均よりも良い人間だから、たぶん天国にも生けるのではないか」と思ってしまうのです。ですから、イエス様の福音が心に響かないのです。
マタイに記されているイエス様の第一声は「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4:17)でした。悔い改めの第一歩は自分の罪深さを認めることです。イエス様のことばは大変厳しいものに見えますが、この青年にその一歩を踏み出すための愛に満ちた促しだったのです。
ライフチャーチ
大谷信道