デイリーディボーション 9月21日(月)

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デイリーディボーション 9月21日(月)

2020年9月21日(月)
へブル人への手紙 12:15-16 16また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。17あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられました。涙を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。
【ポイント】 ①ここでの「不品行の者」「俗悪な者」とは? 昨日の礼拝の中でも説明しましたが、ここでの「不品行」「俗悪」とは、十戒の後半に見られる「倫理的な戒め」に違反することだけではありません。なぜなら、例に挙げられている「エサウ」の問題点は、例えば第一コリント6章9-10 にある「不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者」とは違うことは明らかです。
むしろ、エサウは、十戒で言えば、前半で教えられている「神様と正しい関係」に問題があったことが分かります。神様が祖父であるアブラハムに与え、父であるイサクに引き継がれた「祝福の約束」を「一杯の食物」でヤコブに譲ってしまったことから、エサウが神様に対する「愛」「畏れ」などについて、大変いい加減な人間であったことが分かります。ヘブル書の著者は、エサウのこの点について「不品行」「俗悪」と呼んでいるわけです。
ここで重要なポイントは、エサウは、弟ヤコブに長子の権利を一杯の食物と引き換えに譲ってしまうことが、大きな罪であったことに気が付いていなかったということです。このポイントは、すべてのクリスチャンに適用することができます。つまり、私たちクリスチャンが、自分の欲求の一時的な満たしばかりを求め、神様の計画の実現のために貢献することに無関心であるとしたら、それは神様を大変悲しませることになることを知らなければならないということです。
あなたは大丈夫ですか?自分は大きな罪を犯している自覚がなくても、神様に対して大変不誠実な人生を歩んでいる可能性があることを覚えていなければならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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