デイリーディボーション 9月24日(木)

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デイリーディボーション 9月24日(木)

2020年9月24日(木)
へブル人への手紙 12:23-27 23また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、24さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。25語っておられる方を拒まないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。26あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」27この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。
【ポイント】 ①神様の「処罰」について考える 400年間エジプトで生活したイスラエルの民は、まことの神様についての知識もほとんどなく、平気で金の子牛を作ってしまうような人々でした。ですから、神様はそのような無知で、平気で偶像を拝んでしまう人々には、かなり厳しい処罰を伴うルールを与える必要があると考えられたのでしょう。
羊飼いと羊を例に考えてみましょう。羊は羊飼と群れを離れれば、必ず他の野生動物の餌食になってしまいます。しかし、愚かな羊はその深刻さを理解していません。ですから、羊飼いは口で説明しても理解できない羊に、群れを離れる為の深刻さを教えるために、離れようとする羊にムチを打つことはあるかもしれません。しかし、再三再四、群れを離れないように教え続けているのに、群れを離れ、野犬の餌食になった羊がいたとしたらどうでしょうか。それは、群れを離れた処罰なのでしょうか。決してそうではありません。ある意味、当然の結果なのです。むしろ、羊飼いは、その出来事を悲しむことでしょう。
ですから、神様のみことば(警告)を聞きながら、神様の交わりを捨て、神様から離れていく者は、その当然の結果として永遠の孤独の中に陥っていくのです。それは、神様が積極的に与えた処罰ではありませんし、その状態を神様は悲しまれているのです。
この大きなルールを決められているのは神様なので、まことの神様との愛の交わりから離れ、永遠の孤独の中に滅びていくという出来事を神様が定められた「処罰」と呼ぶこともできるのです。しかし、それは神様が積極的にてを下している処罰でもなければ、「私に逆らう者の当然の報いである!」と罪人の滅びを喜んでいるわけでもないことを知らなければならないのです。
羊飼いとその群れにとどまることを選んだ羊はいのちを得、離れることを選んだ羊はいのちを失うことになるのです。神様は人間に自由な意思を与え、人間が神様を自由な意思で愛することを期待されているのです。私たちが自らの意志で神様を愛する決意をしたときに、神様は決してその愛を拒まれることはありません。しかし、神様を愛さないと決意した者に、神様への愛を強要すること、恐怖によって心を支配することもされないのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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