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2021年9月25日(土)
マタイの福音書 10:16-17 16いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。17人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。
【ポイント】 ①イエス様の戦略を理解する その4 「蛇のようにさとく、鳩のようにすなお」とは、矛盾しているように見えますが、イエス様は弟子たちのどのような態度を期待されていたのでしょうか。それは、前の節から見ることができます。11節に「どんな町や村に入っても、そこでだれが適当な人かを調べて」とありました。恐らくこれが、「蛇のようにさとく」を意味しているのでしょう。そして、11節の後半の「そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい」が「鳩のようにすなお」だと思われます。一度、安心してイエス様の福音を分かち合うことができる人々だということが分かれば、心を開いて、福音をそのまま語ることが求められたのです。
使徒の働きなどを見れば、この時点でイエス様の弟子となっている人々も、後に弟子となったパウロたちも、危険を顧みない無謀な伝道は行っていなかったことが明らかです。クリスチャンの中には「無謀=信仰的」だと思い込んでいる人もいるようですが、そのような人々の心の奥底には「武勇伝を作りたい」「手柄をあげたい」などという、不純な動機が見え隠れしている場合が多いような気がします。
日本のような異邦人の地では、伝道は長期戦になることが多いかと思います。イエス様について正確に伝えるためには、旧約聖書、そして歴史的な背景を丁寧に説明することが不可欠です。つまり、隣人愛をもって証しを立て、人々と長期的に良好な関係を維持することが不可欠だということです。無謀(乱暴)な方法で伝道してしまうと、大きな拒絶や反対に遭う可能性が高くなります。イエス様は、そのような反応を避けるために「蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい」という命令を与えられたのです。
この考え方は、家族や友人にも当てはめることができます。イエス様の福音を熱心に語ってしまったために、かえって心を閉じられてしまったという経験をしたクリスチャンは少なくありません。もちろん、良い関係を維持し、丁寧に福音を伝えたとしても、信仰決心に繋がらないケースもたくさんあると思います。しかし、無謀さによって、家族や友人との関係を破壊してしまったら、二度と福音を語ることができなくなってしまう可能性があることを覚えておきましょう。
ライフチャーチ 大谷信道