デイリーディボーション 9月25日(火)

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デイリーディボーション 9月25日(火)

2018年9月25日(火)

コリント人への手紙 15:12-13
12そういうわけですから、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。13ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。

【ポイント】
①パウロが受けた福音 ーその5ー
「死者の復活」は現代人だけでなく、新約時代の人々にとって全く非常識なものでした。なぜなら、現代も2000年前も死者の生き返りを目撃したり、自分体験したことがある人がいないからです。現代と2000年前では人々が持っている常識には大きな違いがあるはずですが、死者の復活については大きな違いはないのです。つまり、「2000年前の人々だからイエス様の福音を信じられたのかもしれないが、現代では信じる人が少ないだろう。」という印象を持っている人がいたとしたら、それは必ずしも正しくないことが今日の箇所から分かります。

そのようなことをすべて理解した上で、パウロをはじめとする使徒たちは、イエス様の復活が紛れもない事実であったことを伝え続けたのです。そして、イエス様の復活を直接見ていない人々、死者の復活など不可能であると信じていた人々が使徒たちの目撃証言、つまり「あかし」によって、イエス様の復活を信じるようになったのです。

残念ながら、現代の教会の中でも復活の事実を否定する牧師や信徒がいます。もちろん、この世においては聖書のイエス・キリストの復活の記述について様々な意見が存在することは全く不思議ではありません。私たちクリスチャンは、この世の多様な考え方に耳を傾けたり、疑問に真摯に答えてくことが必要です。しかし、残念ながらクリスチャンの中で起こる復活の否定については、耳は貸したとしても、その考え方に同意することはできません。その理由は、1コリント15章のパウロの教えを読めば明らかです。

「イエスの復活は物語であり、事実ではない。」と言ったほうが、この世の人からの反発、反感を招く可能性が低まることでしょうし、「クリスチャンは多様性を認めてくれる寛容な人々」という印象を与えることができるかもしれません。しかし、本当のそれで良いのでしょうか。パウロのことばを聞いてしっかりと考えてみましょう。

ライフチャーチ
大谷信道


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