デイリーディボーション 9月26日(土)

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デイリーディボーション 9月26日(土)

2020年9月26日(土)
へブル人への手紙 13:1-2 1兄弟愛をいつも持っていなさい。2旅人をもてなすことを忘れてはいけません。こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました。
【ポイント】 ①信仰と愛の実践の関係を知る 私たちがナザレ出身のイエスをキリストとして信じることができる理由の一つは、イエス様が「理想(主義)」と「現実(主義)」の壁を破壊したことです。「理想」を「現実化」させた方と言うことができるかもしれません。先日も引用しましたが、イエス様は誰もが実現不可能だと思える理想的な愛について教えられました。「13人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)そして、イエス様は「理想的な愛」を「現実」とするために、自らを十字架にささげられたのです。自分の愛する者だけでなく、罪人のために自らのいのちを進んで捨てる人はほとんどいません(ロマ5:7-8)。確かに、戦争や災害時に、自分の命を犠牲にして、他者を助ける人はたくさんいます。しかし、平和な世にあって「人類の救済」を説く宗教の教祖であったり、思想家・哲学者の中で、人類のために自分の命を進んで犠牲にする人がいるでしょうか。皮肉なことに、最近の新興宗教を考えても、「自分は神である」とか「自分はキリストの生まれ変わりである」とか「自分は目覚めた者である」などと言う人に限って、自分の命、自分のお金、自分の名声にしがみついている人がほとんどなのです(それによって、彼らが偽物であることを知ることができるわけですが)。人間の理想、社会の理想などは、少し考えれば誰でも思いつくものですし、それらを喋ったり、文章にすることも、その気になれば誰にでもできるのです。
しかし、私たちクリスチャンも他人事ではないのです。先のヨハネ15章3節のみことばの前に、イエス様が何と語られていたのかを覚えていますか。ヨハネ15章2節のみことばこうです「12わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」もし、私たちがイエス様の愛を「現実の愛」として受けているのであれば、私たちの「理想の愛」「絵空事の愛」を語るのではなく、イエス様が示された「現実の愛」をもって、目の前にいる人を愛すること、赦すことが求められているのです。
ですから、今日の個所は、手紙の最後におまけとして添えられている「倫理的な教え」などではないのです。イエス様は「34あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)、「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」(ヨハネ14:15)と教えられているからです。最後に、ヨハネの手紙第一を見て、自らのキリストに対する愛について考えてみましょう。
ヨハネの手紙第一 4章19-21節 19私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。20神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。21神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
ライフチャーチ 大谷信道


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