デイリーディボーション 9月26日(火)

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デイリーディボーション 9月26日(火)

2017年9月26(火)

【通読】
マタイの福音書 20:17-20
17さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。18「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。19そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」20そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。

【ポイント】
①自分のことで頭が一杯ではないですか?
16章でイエス様が弟子たちに向かってご自分の苦難と復活を予告した時の出来事を覚えているでしょうか。ペテロは「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」(22節)とイエス様をいさみ始め、それに対してイエス様は「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(23節)と厳しく叱られました。

そのような経験をした後ですから、さすがに今日の箇所では、イエス様の十字架と復活の予告について反論したり、いさめたりする弟子はいません。それでは、弟子たちはこれからイエス様に起こる出来事についてよく理解し、受け入れられているのでしょうか。どうもそうではないようです。16章22節で、イエス様はペテロの問題点について「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と指摘されたわけですが、20章を見てみると「ゼベダイの子」つまりヨハネとヤコブ、そしてそ母は、「人のこと」で頭が一杯であるであることが分かります。

皆さんの日々の歩みはどうでしょうか。「神様の計画(夢)の実現」と「自分の計画(夢)の実現」のどちらで頭が一杯になっているでしょうか。イエス様に忠実に従っているけれども、実は「自分の夢をかなえてもらうため」という間違った動機を心の奥底に隠し持っていることはないでしょうか。

弟子たちでさえこのような状態だったわけですから、私たちが不純な動機でイエス様に従っていることがあっても何ら不思議なことはありません。大切なことは、自分の心の奥底の状態を素直に見てみることです。こそに不純な物があればフタをするのではなく、「ああ、自分も弟子たちと同じような弱さをもっているのだな。」と正直に認める事です。

イエス様は、弟子たちの忠実さの中に不純な部分があることを全てご存知の上で、弟子たちを招き、愛し、戒め、導かれました。同じように、イエス様は私たちを忍耐強く導いてくださるのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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