デイリーディボーション 9月27日(水)

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デイリーディボーション 9月27日(水)

2023年9月27日(水)
【今日のみことば】 コリント人への手紙第一 2:6-8 6しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。7私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。8この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
①パウロの個人的な経験と聖書のみことばに基づく真理を理解する パウロは「十字架のことば(キリストの福音)」は、この世の知恵によって理解しようとすると「愚かなもの」と結論付けられる(1:18)と語っています。しかし、今日の個所では人間の知恵では理解できない「十字架のことば(キリストの福音)」こそが、「神の知恵」であり「隠された奥義」であると教えています。
ここで、私たちが勘違いしてはならないことは、「十字架のことば(キリストの福音)」が「神の知恵」であり「隠された奥義」とは、それを理解するために特別な訓練、知識、経験が必要であるという意味では決してないということです。なぜなら、日曜日の礼拝説教でお話した通り「十字架のことば」とは、「神様の私たちに対する愛のメッセージ」であり、幼子が親の愛を理解するために特別な訓練、知識、経験が必要ないのと同じだからです。
残念なことに、現代のキリスト教会の中には、「隠された奥義」を理解したり、体験したりするためには、特別な訓練、知識、経験が必要であると教えている教会があります。ある教会では、信徒は熱心に体系化された訓練会に参加し、ある教会では熱心に神学(者)の研究をしたり、ある教会では、霊的な体験と呼ばれる、特定の現象を経験することができるように頑張すなおに
しかし、パウロが言っている「隠された奥義」とは、この世の宗教的な知識、哲学的な知識によって理解しようとしても、理解できないものであるという意味なのです。先の「幼子」の例を用いれば、「十字架のことば」「隠された奥義」とは「神様の愛のメッセージ」なわけですから、幼子のような素直さで聴けば、誰でも理解し、受け取ることができるものなのです。
この点についてイエス様ご自身がはっきりと教えられている箇所を確認しておきましょう。
マタイの福音書 11章25節 25そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。
ルカの福音書 18章15-17節 15イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。16しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。17まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」
「十字架のことば(キリストの福音)」が神様の愛のメッセージであるというポイントをしっかりと押さえると、今日の個所だけでなく、聖書全体をはっきりと理解することができ、頭がスッキリすると思います。これこそが、パウロが経験した「目からウロコ」(使徒9:17-19)なのでしょう。私たちも、目にウロコがあり、本来極めて単純な神様の愛を見ることができなくなっている可能性があるのではないでしょうか。無駄な宗教熱心を止め、幼子のような素直さで神様の愛を受け取ることに熱心になりましょう。
ライフチャーチ 大谷 信道


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