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2020年9月28日(月)
へブル人への手紙 13:3-4 3牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。4結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。
【ポイント】 ①信仰と愛の実践の関係を知る その2 3節の4節は、全く別々の戒めが記されているように見えます。しかし、実際には、イエス様の「神を愛しなさい」「隣人を愛しなさい」という命令の具体的な適用(実践例)であるという点を見逃してはなりません。
簡単なアンケートに答えるように「はい、私は神様を愛しています。」「はい、私は妻(夫)を愛しています。」と考えている人は多くいます。しかし、自分の言動(一挙手一投足)が、神様への愛の応答、配偶者(隣人)への愛の応答となっているのかを真摯に考えることが大切なのです。自分が正しいと思って行っている行動が、相手を不快にさせたり、心配にさせたりしていることがあったとしたら、それは本当に相手に対する愛となならないのです。例えば、私は子どものころ、ブロックで法面工事がされている15メートルぐらいある崖を登って遊ぶことがありました。母から「あそこで遊んじゃだめよ!」と何度注意されても、自分では悪いことをしている意識が全くなかったですし、絶対に落ちることはないという自信があったので、止めることはありませんでした。この「悪いことをしているつもりはない」という感覚が曲者なのです。この感覚がある限り、知らず知らずに相手を悲しませたり、傷つけたりという愛とは全く逆のことをしていることに気が付かないのです。もちろん、4節の不貞行為に罪の感覚がないわけはありませんが、イエス様はマタイ5章28節で「28しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」と教えられました。ここまで心を厳密に精査しなければ、私たち人間は、自分の罪に気が付かないこともあるのです。
イエス様が罪を赦してくださっているのだから、繰り返し罪について触れなくても良いのではないかと考える人もいることでしょう。しかし、パウロはローマ人への手紙5章20節でこのように教えています。「20律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」つまり、私たちは、自分の罪がどれだけ大きいのかを知らなければ、赦された罪の大きさ、つまり神様の恵みと愛の大きさを本当の意味で実感することができないということなのです。
ですから、神様の赦し、神様の恵み、神様の愛をより深く知り、味わいたければ、自分の罪深さを直視することが重要なのです。イエス・キリストを知らない人は「自分の罪深さを直視すると自分に絶望してしまうのではないか?」という恐れを感じるはずです。しかし、真理はその逆なのです。この点を理解すれば、旧約聖書の律法が極めて重要なものであることが理解できるのです。しかし、間違ってはいけないことは、自分の力で罪を犯さない努力を始める前に、そのような罪深い私たちを神様が愛しておられること、罪の贖いのために御子を与えてくださったことを信じることです。
そうなると「罪を犯さない努力」は、自分を正しく見せるためという自己中心からの行為ではなく、神様の愛への応答という健全な行為へと変えられるのです。この両者は似て非なるものであることを知らなくてはなりません。前者には常にさばきの恐れが付きまといますが、後者には真心から親孝行を行った時にかんじるような、心の温かさ、喜びが伴うはずです。神様は、私たちが神の子として、後者の人生を歩むことを望まれているのです。
ヨハネの手紙第一 4章15-21節 15だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。16私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。17このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。18愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。19私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。19私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。20神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。21神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
ライフチャーチ 大谷信道