デイリーディボーション 9月28日(木)

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デイリーディボーション 9月28日(木)

2017年9月28(木)

【通読】
マタイの福音書 20:24
24このことを聞いたほかの十人は、このふたりの兄弟のことで腹を立てた。

【ポイント】
①弟子たちは互いをライバルだと思っていた
弟子たちは、ヨハネとヤコブの母親が「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」と願い出いことを聞いて腹を立てました。2人が「抜け駆け」をしたと感じたからです。自分たちもイエス様の玉座の右、左という、イエス様の作られた国で、イエス様に次ぐナンバー2の地位を獲得したいと願っていたということです。つまり、弟子たちは互いに愛し合うどころか、互いをライバルとして意識し競い合っていたということなのです。

②私たちも同じ
この弟子たちの問題は、私たちの全員の問題であることを知らなければなりません。自分が一番でありたいという罪の性質を私たち全員が持っているからです。一番になりたいと思っていなくても、周りの人よりも上でありたいという欲求が心の中にあるはずです。ですから、学力、体力、身体的特徴、健康、年収、幸福度などを他者と比較し、「他の人よりも自分はマシである。」と感じると安心するのです。

クリスチャンも同じです。この罪の性質についてきちんと理解していないと、聖書の知識だけでなく、献身の度合い、信仰の深さ、霊性の豊かさなどでさえも、他者と比較したり、競い合ったりしてしまうのです。弟子たちのように、自分たちの教会の中で誰が一番献身的で信仰的なクリスチャンなのかなどと議論するようなことはしませんが、心のなかでは順位付けをしていたりするのです。

以前の書きましたが、この罪の性質を利用して信徒の熱心さを煽り、教会の人数的、財政的な規模を大きくしようとしているのではないかという教会が少なからずあるのです。大きな教会を形成すれば偉い牧師として認知さるだろうという、誘惑に負けてしまうことがあるからです。大きな教会を牧会している牧師、教団の中で代表的な立場ある牧師に対して「偉い牧師さん」と言うような表現を用いてしまうこともあります。

しかし、私たちはそのような人間的な感覚から自由にされなければなりません。また、イエス様を信じ、その愛を知る時に、そのような優劣の比較から自由にされるのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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