デイリーディボーション 9月28日(金)

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デイリーディボーション 9月28日(金)

2018年9月28日(金)

コリント人への手紙 15:18-19
18そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。19もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

【ポイント】
①「福音」の中心は復活
コリント15章を学ぶと「福音」の中心がイエス様の復活であることがよく分かりますね。

実際、使徒の働きを見ても「すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」(1:22)、「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」(2:32)、「いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。」(3:15)、「この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、」(4:2)、「使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」(4:33)、と使徒たちはイエス様の復活について証言することに熱心であったことが分かります。

ですから、もし復活がなければ、「19もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。」であることを知らなくてはなりません。先日学んだ通り、宗教は個人の自由ですから、日本において誰が何を信じていても、その信仰ゆえに差別されたり迫害を受けたりすることはありません。しかし、聖書(パウロ)は「信仰すべき根拠のないものを信じる必要はない」と教えているのです。パウロはある意味、現実主義者であることが分かります。つまり、常識的にはありえない「復活」について彼が信じている理由はただ一つ、イエス様の復活の「事実」を個人的に目撃し、その他多くの目撃証言があるということです。ですから、イエス様の復活の事実がなければ、またはイエス様の復活の事実(証言)を信じないのであれば、私たちの信仰は、招き猫が金運を上げると信じているようなこの世的なご利益信仰と何ら変わりのないものになってしまうのです。

もちろん、招き猫を信じるのは個人の自由です。しかし、パウロにとってはそのような信仰は全く意味のないものであり、それを信じている人は「哀れな者」なのです。同じように、実際には復活がないのにキリストの信じている人は「すべての人の中で一番哀れな者です。」であると主張しているのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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