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2017年9月29(金)
【通読】
マタイの福音書 20:25-28
25そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。26あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。27あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。28人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
【ポイント】
①仕える者になる
「26あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。」このイエス様のみことばを文字通りに受け取ると「みなに仕える者は偉い者である。」るわけですが、イエス様は「偉い者」となるための方法を教えられているのでしょうか。決してそうではないでしょう。というのも「みなに仕えたい」と思う人は、「偉くなりたい」という思いを捨てた人だからです。つまり、イエス様は「偉くなりたい」という欲望を持っている弟子たちに対して、その思いを受け入れつつも、弟子たちの心に「みなに仕えたい」という思いが起こるように導かれたのです。ですから、「私はこれだけみなに仕えてきたのだから、私がこの中で一番偉いのだ!」とか「周りの人よりも偉くなるための下積みとして、とりあえずみなに仕えていこう!」というような考え方は、イエス様の意図するところではないのです。
昨日も学びましたが、私たちの「人よりも偉くなりたい」「周りの人よりも優れた者になりたい」という私たちの心の中にある欲求は大変強いものです。そして、この世では、この欲求が勉強、部活動、仕事などにおける「努力」の原動力になっているということも事実です。しかし、弟子たちの姿をみても分かる通り、「人よりも偉くなりたい」という欲求は、競争、衝突を引き起こし、互いの憎しみ、妬みの原因となり、行き着く先に「平安・平和」がないことを知らなければならないのです。一方、互いに仕え合う先には、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:22-23)という御霊の実が結ばれるのです。
ライフチャーチ
大谷信道