デイリーディボーション 9月30日(月)

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デイリーディボーション 9月30日(月)

2019年9月30日(月)
ピリピ人への手紙 2:1 1こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
【ポイント】 ①「キリストにある」が動機 パウロの手紙のキーワードの一つは「キリストにあって」という表現です。この表現は、私たちとイエス・キリストの関係性のすべてを一言で表現しているものです。そういう意味では、1節全体が「キリストにあって」の具体的な状態を説明としてとらえることもできます。つまり、イエス・キリストを救い主と信じ、主として従い、愛の関係をしっかりと築いている者には、「キリストからの励まし」「キリストからの愛の慰め」「キリストによる聖霊の交わり」「キリストからの愛とあわれみ」が与えられているということです。反対に、イエス・キリストのとの個人的な信頼関係、愛の関係が築かれていない者は、今述べた、イエス様が与えたいと思っている約束を味わうことができていないことになります。
この1節の表現の対極にあるのが「律法主義」です。私たちクリスチャンは、イエス様の愛に動かされて、イエス様の御心を自発的に行っていく歩みが求められています。つまり、私たちを動かしているのはイエス様の愛であるということです。一方、律法主義は、神様からの罰、呪いを恐れて、ルールを守っていく歩みです。ルールを守ることができれば達成感を覚えますが、その喜びは恵みによる喜びとは違うものなのです。
ですから、キリストの信頼関係、愛の関係が結ばれていれば、私たちは自然とキリストによる「励まし」「愛の慰め」「御霊の交わり」「愛情とあわれみ」を体験することになり、当然のこととして、「主にある一致」(2節)を求めていくことになるのです。
もし、あなたがキリストの愛による教会(家族)の一致に情熱を覚えないとしたら、イエス様の御心に不従順(無関心)ということになります。反対に、それが大変地味なものであったとしても、キリストのからだが一つとなることに地道に取り組む者は、その忠実さによって、天において大きな祝福を受けることになるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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