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2021年9月30日(木)
マタイの福音書 10:26-27 26だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。27わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。
【ポイント】 ①真理は必ず明らかにされる イエス様の時代に、神様についての「真理」が明らかにされるのを妨げていたのは誰でしょうか。祭司、律法学者、パリサイ人などの、ユダヤ人の宗教の中心にいた人たちです。
一方、バプテスマのヨハネは、すべての人が罪人であること、神様の前に悔い改めの必要があるという「真理」を明らかにしました。それでは、この「真理」は誰も知らなかったことでしょうか。決してそうではありません。バプテスマのヨハネのメッセージを聞いた人は「本当にそうだな!」と思ったからこそ、大勢の人がヨハネに悔い改めのバプテスマを授けてもらうために集まってきたのです。
しかし、バプテスマのヨハネのもとに集まった人々は「神様のさばきへの恐怖」によって動かされていた可能性があります。バプテスマのヨハネは人間の罪についての「真理」を明らかにしたのですが、神様についての「真理」は完全に明らかにしなかったのです。
それでは、イエス様が明らかにされた「真理」とは何だったでしょうか。イエス様は、バプテスマのヨハネが明らかにしなかった神様について真理を明らかにされたのです。それは何でしょうか?そうです、「神様の天の父としての愛」です。私たちは、それを「福音」と呼んでいます。私たちは、恐怖によってではなく、愛によって神様を信じ、愛し、従って行く決意を、自らの意志で選び取ることができることをイエス様は明らかにされたのです。
これらの真理を知り、理解するために「特別な知識」「特別な訓練」「特別な体験」「特別な道具・建物・衣装」などは一切必要ありません。イエス様は誰でもが理解できる、しかし誰も知らなかった天の父の愛について明らかにされたのですが、それは誰にでも理解でき、誰にとっても嬉しい内容であったので、一度明らかにすれば、どこかに隠されているような性質のものではないのです。太陽が昇れば、その光は地上の隅々にまで届くのと同じなのです。
残念なことに、イエス様のシンプルな福音を複雑にし、人々が理解するのを妨げる人々が現代にも存在します。それは、偽預言者でも偽教師でもありません。牧師、司祭、宣教師、聖書の教師です。そして、私もその一人なのかもしれません。悲しいことに状況は、イエス様の時代と大きく変わっていないのです。また、その奇妙な状況に興味も、疑問ももたず、既存のキリスト教という宗教を受け入れてしまっているクリスチャンがたくさんいるのです。
ですから、私たちはイエス様のみことばを、イエス様の意図通りに、正確に、しかしシンプルに伝え続けることが求められているのです。そして、そのメッセージの中心は「イエス・キリストの愛」「天の父の愛」なのです。
ライフチャーチ 大谷信道