デイリーディボーション 9月4日(月)

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デイリーディボーション 9月4日(月)

2017年9月4日(月)

【通読】
マタイの福音書 17:14-18
14彼らが群衆のところに来たとき、ひとりの人がイエスのそば近くに来て、御前にひざまずいて言った。15「主よ。私の息子をあわれんでください。てんかんで、たいへん苦しんでおります。何度も何度も火の中に落ちたり、水の中に落ちたりいたします。16そこで、その子をお弟子たちのところに連れて来たのですが、直すことができませんでした。」17イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」18そして、イエスがその子をおしかりになると、悪霊は彼から出て行き、その子はその時から直った。

【ポイント】
①弟子の未熟さ
10章1節を思い出してみましょう。「1イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。」弟子たちはイエス様から悪霊を追い出す権威、病をいやす権威を与えられていました。にもかかわらず、弟子たちはこの女性の息子をいやすことができませんでした。おそらく、弟子たちは、この息子の症状に驚いたり、恐れを覚えたりしたのかもしれません。

この後の箇所で、イエス様は弟子たちがいやしを行なうことができなかった原因を「あなたがたの信仰が薄いからです。」(20節)と指摘されています。しかし、ここで私たちは「信仰が薄い」とは何を意味しているのかを深く考える必要があります。イエス様が指摘している問題は「弟子たちは自分の力を信じることができなかったこと」でしょうか。それとも「いやす権威を与えてくださったイエス様への信頼がなかったこと」でしょうか。イエス様が苛立ちを覚えられた原因は、後者であると思われます。

自分の力でいやそうと思っても、症状が思い人を目の前にすれば「無理だな」と感じてしまうことでしょう。しかし、イエス様が弟子たち(私たちクリスチャン)が行なうように教えられたいやしは、「イエス様の権威」「イエス様の力」「イエス様の御名」によるいやしです。いやしを行われる主体は、弟子たち(私たち)ではなく、イエス様ご自身であるということです。この時に「無理かも」と思ってしまうことは、イエス様の権威、力を疑ってしまうことになるわけです。ですから、イエス様は「私の力を信頼していれば、いやせたはずなのに・・・。」と思われたのでしょう。

②イエス様の忍耐深さを知る
確かにイエス様は弟子たちの不信仰を叱られていますが、弟子たちを落第させたわけでも、見放したわけではありません。むしろ、このお叱りは、弟子たちへの励まし(叱咤激励)であると理解するべきだと思います。

ライフチャーチ
大谷信道


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