デイリーディボーション 9月4日(火)

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デイリーディボーション 9月4日(火)

2018年9月4日(火)

コリント人への手紙 第一 14:5
5私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます。もし異言を話す者がその解き明かしをして教会の徳を高めるのでないなら、異言を語る者よりも、預言する者のほうがまさっています。

【ポイント】
①教会の徳を高める ーその2ー
日本だけでなく、世界中の多くのクリスチャンが「神秘体験こそが信仰の奥義」というような間違ったイメージを持っているようです。そのような勘違いをしてしまっている人にとっての代表的な神秘体験は「異言」です。今日の箇所からパウロは異言を大切にしていることは明らかです。ですから、異言を禁じる教会があれば、それは聖書から逸脱した教会なってしまいます。しかし、14章に記されている異言の用い方についてのインストラクションを守っていない教会があれば、それも聖書から逸脱した教会なのです。残念ながら、異言の取り扱いについてこのどちらかの間違いに陥ってしまっている教会が多いのです。

これから聖書に即した異言の取り扱いとはどのようなものなのかを14章を読み進める中で学んで行くことができるわけですが、その前に一点だけ抑えておくべきことがあります。それは、パウロが語っている「異言」が、今日「異言」と呼ばれている現象が同一のものであるのか、そうでないのかを確認する手立てがないということです。多くのクリスチャンはこの点について何の疑問も持たずに現代の「異言」が聖書の異言と同じものだと信じ込んでいます。しかし、残念ながら現代の異言と呼ばれている現象が聖書の異言とは別物であるという可能性があるのです。さらに、現代において私たちが「異言」と呼んでいる現象と極めて似た現象が他の宗教でも行われているそうです。つまり、聖霊の働きでなくても同じような現象が起きるということです。ですから、私たちクリスチャンは異言の取り扱いについて細心の注意を払うことが求められるのです。

ただ、異言が聖書的なものであるのかどうかを確かめる手立てがないわけではありません。それが今日の箇所の教えです。パウロは、異言を話す者は、自分の異言を解き明かし、教会の徳を高めるべきであると教えています。もし、誰かが「神秘体験」やそこから来る「自己満足」を求めるために異言を用いているとすれば、それはもはや聖霊の働き、聖霊の賜物によるものではないということです。さらに、異言を話す人が「自分は異言を話さない人よりも優れたクリスチャンである。」とか「異言は他の賜物よりも優れたものである」などと考えていたとしたら、それも神様の御心を無視した信仰に陥ってしまっていることを確認できます。

異言を話す人が解き明かしもできて、教会に誠実に仕え、兄弟姉妹を愛し、牧師たちと力を合わせてキリストのからだである教会の建て上げに熱心に取り組む人、つまり教会の徳を高めることを使命しとして歩んでいる姿があれば、その人の異言は御霊の賜物であることが分かるのです。

とても簡単なことですね。

ライフチャーチ
大谷信道


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